なぜ始祖ユミルは座標(道)でも少女の姿のままなのか
なぜ始祖ユミルは座標(道)にいるときに少女の姿のままなのでしょうか?
彼女が亡くなったのは、大人になって3人の娘を産んだ後です。
にも拘わらず、どうして座標(道)では子供時代の姿に戻っているのでしょうか?
このモヤモヤの原因は、「死んだ後に座標に飛んだ」という解釈、固定観念にあるかもしれません。
結論を言うと、少女時代に座標(道)に飛んだから少女の姿なのだということではないでしょうか。
「始祖ユミルは死んだ後に座標(道)に行った」というのは誤解?
あの砂漠のような空間をなんと呼べばよいのかちょっとよくわからないので、このページでは座標空間とします。
「始祖ユミルは死んだ後に座標空間に行った」としてしまうと、座標空間で少女の姿である理由をあれこれ考えなくてはいけなくなります。
それって大変ではないでしょうか?
いざ死に直面した時に、巨人の力を手に入れたことを後悔した。出来ることならあのときに戻りたいと願っていた?だからちょうどそのときの姿になった?
こじつけるにしても、かなり巧妙な筋書きが必要になります。
だったらもっとシンプルに考えて、
- 座標空間に到達したのが少女時代
- 座標空間では時間の流れが現実とは違う
としてはどうでしょうか?
©諫山創 進撃の巨人 講談社 122話「二千年前の君から」
この瞬間が「有機生物の起源との接触」なのだから、少女(始祖ユミル)はこのときの姿で座標空間に飛んだのだという解釈です。
座標空間では長い時間が経っていても現実世界ではほんの一瞬なので(エレンとジークの接触から地鳴らし発動まで一瞬だった)、始祖ユミルが自分で自分の巨人を作っていたとしてもおかしくありません。
始祖ユミルは少女時代に謎の生物と接触して座標空間に到達し、以来ずっとそこにいる と考えれば、
なぜ少女の姿なの?
→ 少女のときに座標空間に飛んだから。
始祖ユミルの巨人は誰が作ってたの?
→ 座標空間にいる始祖ユミルが作ってた。
矛盾のように思われていたことが、綺麗に消えてなくなります。
座標空間の特殊な時間の流れ
始祖ユミル、というか奴隷の少女は謎の生物に接触したことで座標空間に到達します。
そして、現実世界の時間でいえば約2000年もの長い間、王の命令に従って巨人を作り続けていました。
しかし座標空間での時間の流れは現実世界と違うのでユミルはずっと少女時代の姿のままです。
なぜこんな不思議なことが起きているかと言うと、それが進撃の巨人の物語を成立させるために必要な設定だからだと思います。
ループ?パラレル?未来の記憶?
過去と未来が同時に存在し互いに影響し合う、ときには未来が過去を先導するような世界観。
複数の世界線やタイムリープを匂わせつつも、1つ1つの選択に説得力を持たせるにはどうするかと検討した結果、座標と道という概念が用意されているのではないでしょうか。
そして、これは巨人の歴史の始まりである始祖ユミルと大地の悪魔との契約から物語の結末に至るまで、全ての鍵を握る重要な要素になっていると思われます。
大地の悪魔はエレン説
なぜ始祖ユミルが少女の姿でなければいけないのか。
なぜ死後ではなく、謎の生物との接触の瞬間に座標空間へ飛んだということになるのか。
すべては大地の悪魔がエレンである、というところに行き着きます。
©諫山創 進撃の巨人 講談社 122話「二千年前の君から」
これが始祖ユミルと大地の悪魔の契約の瞬間です。
そしてこれは始祖ユミルと謎の生物の接触と同時であり、さらにシガンシナ区でエレンとジークの接触とも同時に起きています。
次の瞬間、2000年前の現実世界では始祖ユミルの巨人が誕生し、2000年後の現実世界ではエレン巨人発生&地鳴らし発動、となる訳です。
始祖ユミルきっかけで始まった巨人の歴史の先で生まれたはずのエレンが、実は巨人の歴史の始まりを作っていた、という訳のわからない感じになっています。ですが、むしろその訳の分からなさ、直感的に理解しにくいところがこの作品の面白さなのでしょう。
未来と過去が影響し合う…卵が先か鶏が先かみたいな話になるのですが、答えは「どっちも先だしどっちも後」、つまり 同時 ということで良いような気がします。
エレンが全てを導いている部分もあるし、始祖ユミルが導いてる部分ある、という感じになるのだろうと思います。
最終的に巨大なエレン巨人が、122話の謎の生物の正体だった、なんていう循環構造のようなもので締められるかもしれません。