なぜ始祖ユミルを解放するのはミカサでなければならなかったのか?

始祖ユミルを解放するのが ミカサでなければならなかった理由 について考察します。

なぜミカサ?ということが話題の中心です。愛とは?的な話はあまり登場しません。

ミカサがやったことは「エレンの首を斬り、生首にキスをした」です。なぜこれが「始祖ユミルの微笑(成仏)」と「巨人の力の消滅」に繋がるのでしょうか?

結論を言うと、エレンと始祖ユミルは同化(一体化?)しておりミカサと合わせて三角関係のようなものが出来ているから、と考えられます。

エレンの解放→始祖ユミルの解放。エレンを解放するのはミカサでなければならず、またミカサを解放するのはエレンでなければならない。だから始祖ユミルを解放するのはミカサでなければならない、ということになります。

細かいところも見れば、地鳴らしストップ云々愛情云々等々、色々な要素が絡むはずなのですが、大筋としてはそういう話なのだと思います。

  • エレンと始祖ユミルは同化していた。
  • エレンはミカサと始祖ユミルを重ねていた。
  • ミカサは「エレン&始祖ユミル」を「巨人の力の呪い」から解放した。
  • エレンは「ミカサ&始祖ユミル」を「愛の縛り・不自由」から解放した。

始祖ユミルの解放の鍵がミカサだと感じているのはあくまでもエレンです。始祖ユミルがミカサを選択したという訳ではありません(そういう描写がない)。最終的に始祖ユミルもミカサを待っていたとしても、構造理解の順番としてはまずはエレンだろうということです。

では何が始祖ユミルとミカサを結びつけるのかといえば、それは「エレンと始祖ユミルの同化」です。同化と言っても融合のような極端ものではなく、すべてのユミル民が繋がっている中でも2人は特に強い結びつきを持ったということです。父子であるグリシャとエレンが記憶を共有してまるで二重人格かのようになっているのと同じようなものでしょう。

だからエレンの解放は始祖ユミルの解放にも繋がる、ということになります。

ミカサは、エレンと始祖ユミルを「巨人の力の呪い」から解放した。(エレン≒始祖ユミル)

エレンは、ミカサと始祖ユミルを「愛の縛り・不自由」から解放した。(ミカサ≒始祖ユミル)

この3者の関係があるからこそ、最後の締め括りである「巨人の力の消滅」と「始祖ユミルの解放」を担う者は、自身も当事者であるミカサでなければならなかった、と考えられます。

始祖ユミルの未練とは

始祖ユミルの半生をおさらい

始祖ユミルが結婚式を挙げキスする男女と祝福する周囲の人々を羨ましそうに眺めている場面があります。

これが「彼女が自分の不自由さに気づいた瞬間」だと考えられます。「自分もああなりたい、仲間に入りたい」と憧れ、同時に自分は奴隷だからそれは叶わないと知ってしまったのです。だから自由を求めて豚を逃したのでしょう。

その後、「お前は自由だ」があり、始祖ユミルは偶然にも巨人の力を手に入れますが、彼女はこの力を使って当初の望みを叶えようとしました。

村に戻り、土木工事で部族に貢献したことで、フリッツ王から認められ「子種をくれてやる」と報酬を約束されるも、間髪入れずに「マーレを滅ぼせ」と命令されます。

「必要とされて嬉しかった」では済まされない感じのサイクルが始まってしまいました。

やれどもやれども、王からの愛は期待していたような形では得られず、愛の結晶であるはずの我が子に戸惑い、ひたすら戦に明け暮れる日々…。

「こんなはずじゃなかった」というやつでしょう。

そして王を庇って槍に討たれたとき、王は彼女を心配するどころかむしろ奴隷としてしか見ていないことがはっきりしてしまいます。これに観念したのか、反抗心からなのか、始祖ユミルの肉体は死に、完全に道(座標)の世界に引きこもることになりました。

始祖ユミルの葛藤、ジレンマ

  • 王から愛されない苦しさ
  • 王から愛されたいがために、たとえ巨人が殺戮に使われようとも作ってしまう
  • 娘や子孫たちを巻き込んだ後悔、罪悪感
  • 娘たちが捨てられないようにするには巨人を作るしかない

ユミルの民は延々と巨人の力を引き継ぎ、始祖ユミルは道で巨人を作り続けていました。

なぜそんなことが始まったのかというと、始祖ユミルが3人の娘のことを顧みず王への愛に執着して生きることをやめてしまったからです。

2000年間、始祖ユミルは王から愛されることを夢見て、それが叶わないことを認めらず、負の連鎖を断ち切れずにいたということになります。

人の愛やつながりに憧れ、それを実現するために偶然巨人の力を手に入れたところまでは良かったでしょう。

しかしその使い方を間違ってしまった感があります。

なぜミカサなのか?

始祖ユミルがミカサの頭の中を覗いていたらしい…

しかし、なぜミカサを選んだのでしょうか?

2000年もあれば膨大な量のユミルの民が生まれていたはずなのに、なぜミカサだけが特別ということになるのでしょうか?

時代の変遷

始祖ユミルの解放とは、要は「夢を諦めて死んでくれ」ということになると思います。

そのためには誰かが座標に行って始祖ユミルを説得しなければなりません。説得担当がエレンであり、実体として始祖を保有するエレンを斬るのがミカサだったということです。

作中の歴史を振り返ってみると、現代まで巨人の力は戦争兵器として圧倒的であり、近頃ようやく科学技術の発展と共にその存在が脅かされそうな感じになってきた、ということがわかります。

つまり2000年間ほとんど状況が変わっていなかったのです。

ということは争いを止めない人類は誰も巨人を手放そうとするはずもなく、始祖ユミルは「いつかフリッツ王は自分を愛していたと感じられる日が来るかもしれない」と考えているので、ずぶずぶの関係が続くのも無理もありません。

そしてようやく100年前の巨人大戦で145代目カール・フリッツがパラディ島に引きこもったことで状況が変わり始め、エルディア復権派が動き出し、グリシャが始祖を奪還してエレンに継承され、ついに始祖ユミル説得の機会が生まれます。

要するに、始祖ユミルは自分を解放してくれる人間を選ぶにしても、エレンの狭い交友関係の中から漁るしかなかったということです。

ミカサならではの特徴

ミカサは始祖ユミルに「あなたに生み出された命があるから私がいる」と言いました。当たり前のことではありますが、なぜこんなことを言ったのでしょうか?

それはミカサが東洋の一族(ヒィズル国将軍家)とアッカーマンのミックス(ハーフ)であり、迫害されながらも大切に命を繋いできたファミリーの末裔だからだと考えられます。

特に母からは入れ墨を受け継ぎ、幼い頃からその重みを肌で感じてきたはずです。だから最終話の終盤でミカサにたくさんの子供や孫がいる描写があるのだと思います。

また「地鳴らし」に対する立ち位置も特殊です。

ミカサはパラディ島内においてはある意味外国人であり、なんだかんだで「地鳴らし」の恩恵を無視できないジャンやコニー達と微妙に視点が違います。継承されてきた命を踏み潰す「地鳴らし」に対して明確にノーと言えるのです。

だからミカサは始祖ユミルに対して「あんた間違ってる」と指摘し、かつ同時に慰めの言葉もかけられる唯一の存在であると言えます。リヴァイやアルミンはここが足りないと思います。

★★★

と、こんな感じでそれっぽい理由を並べてみても、まだまだ腑に落ちない感じが残るのではないでしょうか?

「神に選ばれし存在…それがミカサだ」みたいな問答無用の都合の良い感じが抜け切っていないと思います。

ミカサを待っていたのはエレンなのでは?

エレンは「二千年間ずっと 愛の苦しみから解放してくれる誰かを求め続け… ついに現れた それがミカサだ」と言いました。

これはあくまでも結果を言っているだけです。エレンは未来の記憶を見ているので結果は知っています。だけど理由は知らないんです。

確かに、始祖ユミルとミカサにいくつかそれらしい共通点を見つけることはできます。しかし、共通点があるからといってそれが成仏に結びつく根拠にはならないし、ミカサでなければならない理由にはなりません。

アルミンに「何で…ミカサなの?」と聞かれ、エレンは「そりゃあ… 始祖ユミルにしかわからねぇよ」と答えていました。心の奥深くまでは理解できないけれど何となくわかる、という感じでしょう。

つまり『「始祖ユミルの中にミカサでなければならない理由がある」ことをエレンは知っている(感じている)』ということになります。

これが最終話で明らかになった事実です。

だから、 エレンは 「始祖ユミルが待っていたのはミカサ」だと思っている、ということになります。

そう考えるとエレンはただ単に「ミカサの選択」によって始祖ユミルは解放されると言っているだけで、特に始祖ユミルとミカサの関係について何か示唆している訳ではないのかもしれません。

いずれにせよ、なぜエレンはそんな風に思うのでしょうか?

これはエレンと始祖ユミルが同化していることが原因だと考えられます。

エレンと始祖ユミルの同化

座標で同化するエレンと始祖ユミルその1 座標で同化するエレンと始祖ユミルその2

©諫山創 講談社 進撃の巨人 33巻133話「罪人達」

133話「罪人達(つみびとたち)」で、座標に少年エレンと始祖ユミルが並んで立っている場面があります。

おそらく、2人の同化、一体化を表現していると考えられます。

座標は道の中心(原点)なので、始祖の巨人を表しています。巨人の力そのものです。

アルミン達はここに近づくことが出来ませんでした。超特別な立ち位置です。

一行はエレンを説得しようと必死に語りかけるのですが、始祖ユミルについては誰一人触れません。ノータッチ、完全に空気です。おそらく見えていないのでしょう(呆気にとられているだけかもしれませんが…)。

どこからが始まりだろう いや…の豚

©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」

130話の回想、エレンのモノローグ「どこからが始まりだろう」の後に出てくる豚。

確証はありませんが、これは135話にも登場する、始祖ユミルが逃した豚なのだと思います。

つまり、エレンは始祖ユミルと道で繋がり、自分だけでなく彼女の記憶も見て「どこからが始まりだろう」などと考えていたのではないでしょうか(少年エレンが豚を見て「家畜」を意識したのが始まり、という線もあるかもしれませんが)。

「誰かを」エレンが始祖ユミルに共感している場面

待っていたんだろ ずっと 二千年前から 誰かを

©諫山創 講談社 進撃の巨人 30巻122話「二千年前の君から」

このときにエレンは始祖ユミルがフリッツ王への愛に苦しみ自由を求めて解放されたいと願っていると感じたようです。

その一方で、始祖ユミルもまたエレンが苦しんでいることを感じたのではないでしょうか。

それが何かというと、自分はエレンの気持ちを理解していると豪語するライナーが言うように「誰かに終わりにしてほしい」ということです(133話「罪人達」)。

だから「“誰か"はミカサ」ということになります。

そして始祖ユミルは「エレンを終わらせるミカサによって自分も解放されるのだろう」と理解し、ミカサを覗くことにしたのではないでしょうか。

始祖ユミルのミカサチェックは始祖の力がもたらす影響

始祖の力が使われると未来が過去を決定する不思議現象が起きます(エレンの座標発動→ダイナ巨人のベルトルトスルー、ジーク主催の記憶ツアー→グリシャの始祖奪還)。

つまり、始祖ユミルは2000年前からミカサに注目していた訳ではなく、エレンにあすなろ抱きされた後に正式なチェックが始まったと考えられます。

「地鳴らし〜エレン&始祖ユミル解放」という一連の出来事を引き起こすには、ミカサがエレンを斬らなければなりません。

始祖ユミルがミカサの頭の中を覗いていたのは、ミカサを最後の場面まで導くためでしょう。

ミカサはエレンの悪魔的な面をなかなか認められず殺すことに抵抗を覚えて頭痛を起こしているような描写がありますが、これはエレンに覗かれ始祖を奪わなければならないことを理解しつつも葛藤するグリシャの姿と重なります。

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とは?

「不自由」なぜエレンは始祖ユミルに共感できるのか

なぜエレンは始祖ユミルに共感できるのでしょうか?

137話でジークは「エレンは始祖ユミルの未練を理解していた」と言いましたが、実際にその通りでした。

エレンは「始祖ユミルはフリッツ王を愛しているがゆえに道に留まり続ける一方で自由を求めて苦しんでいた」と感じています。

このように感じることができるのは、エレンが誰よりも不自由であり、それが原因で自由を求めているからです。

この世で最も不自由な男。エレン

不自由に敏感なエレン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 18巻73話「はじまりの街」

外の世界のことを嬉々として話すアルミンの目を見て「オレは不自由なんだ」と思うエレン。このエピソードは結婚式を見て憧れと同時に不自由さを知った始祖ユミルに重なります。

ワクワクよりも不自由さに対する怒りが勝ってしまうエレンだからこそ、ミカサに対して愛情(恋心)を持ちつつも「自分に執着していて不自由そうだ」と感じてしまう、いわば「不自由警察」です。

だからエレンは始祖ユミルに対して「お前、苦しかっただろ?」と共感してあげられるのでしょう。

そしてエレンが感じているミカサの不自由さは、フリッツ王への愛に縛られている始祖ユミルに重なります。

始祖ユミルもミカサの頭の中を覗くことで、不自由さに共感していたのかもしれません。

「地鳴らし」が起きた理由

なぜ「地鳴らし」が起きたのかというと、始祖ユミルにとって苦しんだ2000年間は何だったのかということを身をもって確認する必要があったからだと考えられます。

エレンから始祖ユミルへのメッセージ

122話でエレンは始祖ユミルに「オレがこの世を終わらせてやる、オレに力を貸せ」と言っています。

「この世」というのは「道」のことです。

137話でジークが説明していたように、「道」は始祖ユミルが「苦しみから逃れるための世界(死さえ存在しない世界)」です。

進撃の巨人に限らず、古今東西様々な物語において生と死は表裏一体であり、「死から目を背けることは生の冒涜だ」「死があるから生は尊いのだ」みたいな価値観は割と一般的です。

進撃では「勝てば生きる 戦わなければ勝てない 戦え戦え」ということが何度も語られます。つまり「生きろ」ってことです。そして「生きろ」ってことは最終的に「死ね」ってことです。

よって、これまで「死ねない・生きられない状態」だった始祖ユミルは物語を丸く収めるためにきちんと「生きて死ぬ」必要があります。

だからエレンは始祖ユミルに「生きろ!!(死ね!!)」と言っているのだと思います。

このエレンのメッセージをもう少し物語の進行に沿った形で修正すると、「巨人の力を消して道から解放してやる(死なせてやる)から、地鳴らしするために力を貸せ(生きろ)」という感じになります。

そしてエレンは始祖ユミルに選択を委ねました。

エレンと始祖ユミルの契約

大地の悪魔と始祖ユミルの契約の瞬間

©諫山創 講談社 進撃の巨人 30巻122話「二千年前の君から」

これは「世界を平らにしたいエレン」と「道から解放されたい始祖ユミル」との契約です。

結果、「地鳴らし」が始まったのですから、始祖ユミルはエレンに同意したと考えられます。

つまり始祖ユミルが「道の世界を終わらせる(生きて、死ぬ)」と覚悟したから、エレンに力を貸して「地鳴らし」が起きたということです。

また「地鳴らし」は始祖ユミルの意思でもあったと考えられます。

2000年分溜まった鬱憤を正面から受け止めて消化するためには、それ相応のアウトプットがないといけません。

ジャンがマルコの死の真相を知ったとき、一度は堪らえようとしたものの抑えきれずにライナーをボッコボコにしたのと同じようなものです。

「主人公エレンの生まれつきの変態的な欲望」と「物語の締め括りに必要な始祖ユミルの解放」を綺麗に繋げることで、「地鳴らし」の必然性を出すことに成功していると思います。あってもなくても良かった、とはなりません。

また、122話のエレンがなぜこんなに強気で、確信を持って始祖ユミルに訴えられたのかといえば、それは「ミカサが最後に何かして巨人の力が消える」ということを未来の記憶で知っていたからだと思われます。

エレンのセリフを言い直せば「(ミカサが)巨人の力を消して、お前を道の世界から解放する(らしい)から、(地鳴らしするために)オレに力を貸せ」ということになるでしょう。

始祖ユミルとアッカーマン

アッカーマンは「王家の懐刀」だったと作中で説明されています(16巻65話「夢と呪い」)。

122話で始祖ユミルはフリッツ王を庇いました。この性質を受け継いでいるのがアッカーマンなのだと考えられます。

元を辿れば始祖ユミルがフリッツ王を守ろうとした理由は愛です。同じように、ミカサがエレンを守ろうとするのはエレンが王様だからではなく、エレンを愛しているからです。

そして始祖ユミルはフリッツ王を愛しているからこそ苦しんでいました。これが「愛の不自由」です。

ミカサがエレンを殺せば、ミカサは「愛の不自由」から解放されます。でもそれはミカサにとって望ましいとは言い切れません。ジレンマです。

ここで忘れていはいけないのが、アッカーマンは初代・壁の王(カール・フリッツ)に背いたという実績です。

例え相手が王様でも言うときはビシッと言うのがアッカーマン。それが見事に表現されているのがウォール・マリア奪還作戦のリヴァイとエルヴィン、最後のミカサとエレンです。

エレンとエルヴィン

リヴァイとエルヴィンの場合

夢を諦めて悪魔としての自分から開放されるエルヴィン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 20巻80話「名も無き兵士」

地下室で父の仮説の答え合わせをする、つまり世界の真相を知るという夢を持っていたエルヴィンでしたが、同時に人類を巨人から救うために悪魔となり戦っていました。

そんなエルヴィンを解放したのはアッカーマンのリヴァイです。

特攻すれば夢が叶わない、しかし特攻しなければ調査兵団は全滅し人類は滅亡へ一直線…。

そんな状況でリヴァイはエルヴィンに「俺は選ぶぞ」「夢を諦めて死んでくれ」と言いました。

誰よりもエルヴィンを想うリヴァイでなければ出来ない選択です。

ミカサとエレンの場合

悪魔としての自分から開放されるエレン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻138話「長い夢」

構図が似ているということは、リヴァイとエルヴィンと似たようなことがミカサとエレンにも起きているだろう、という話です。

エレンもエルヴィンと同じように、ミカサや仲間と一緒に生きたいとか、アルミンと外の世界を冒険したいとか、夢がありました。

一方で「巨人の力の呪い」を背負い、パラディ島を救うために悪魔となり「地鳴らし」を起こして戦っていました(「地鳴らし」もある意味エレンの夢だった思います)。

ミカサとエレンのややこしいところは、互いに互いを捨てなければならないところです。

ミカサを「愛の不自由」から解放するのはエレンしかいません。

そしてその方法はミカサがエレンを殺すしかなく、それが「巨人の呪い」からの解放に繋がります。

エルヴィンの「答え合わせ」が叶わなかったように、エレンとミカサは現実では結ばれることはありませんでした。

始祖ユミルもまたフリッツ王からの愛は得られなかったということになります。

夢は夢のままのほうが良いかもね、というなんとも歯がゆい結末です。

ちなみに最終話でアルミンがエレンに貝殻を渡したあの場面も「夢を諦めて死んでくれ」でしょう。

エレンはミカサとアルミンから引導を渡されていた、ということになると思います。もしかしたら事前に個人面談があったジャンやコニー、ライナー、アニ達からも同じようにきっぱりと言われていたかもしれません。

ミカサの選択の結果

エレンがミカサに斬られたときの気持ちは、エルヴィンからリヴァイに対するものと同じような感じだと思います。要は解放してくれてありがとう、です。

また、エレンは自分を斬ったミカサに対して「これでお前は自由だぞ」とも思っているでしょう。それが果たしてミカサにとってどういう意味になるのかはまた別の話です。

このエレンの感情が、そのまま始祖ユミルにダイレクトに伝わっているということではないでしょうか。

だから始祖ユミルはミカサがエレンにキスをするのを見て微笑んでいたのだと思います。そしてその微笑みはエレンのものでもある、ということです。

選択は変化

変革を求める集団

©諫山創 講談社 進撃の巨人 5巻20話「特別作戦班」

エレンは調査兵団に入ったばかりの頃、ハンジと巨人トークをして「変革を求める人間の集団…それこそが調査兵団なんだ」と大喜びしています。

極端な言い方をすれば、どんな形であれ変化することは正義、停滞や現状維持は悪みたいな考え方でしょう。

作者は過去に、「やめときゃいいのに」「おとなしく暮らせばいいのに」と言ってしまう思考を、徹底的に敵として描いている、と語っています(2013年6月 トーク&ライブイベント 自由への進撃)。

だから物語の最後にメインキャラクターに対して不条理な選択が突きつけられて、それでも何かしらの決断をしなければならない状況がやってくるのは必然だったと言えると思います。

エレンとミカサの関係は同じ状態を維持していられない、いつかは変わらなければいけなかった、ということです。

進撃の巨人は親殺しの物語だと言われることがしばしばありますが、これもその一種でしょう。

ミカサとエレンの関係は家族、恋人、姉弟、兄妹、母子、父娘と様々に形を変えて表現されています。

最終的にミカサが自立するにはいつかはエレンを手放さなければならなかったのです。

何かを変えることができるのは、大事なものを捨てることができる人

進撃の巨人の作中の「人類を救う」とは何かといえば、「巨人の力の呪いのせいでエルディア人が世界から憎まれ滅亡を望まれている状況を変える」ことでしょう。

つまり変化です。

オニャンコポンのように理解を示す人もいましたが、残念ながら巨人の力を消さないことには話し合いのテーブルにつくことすら叶わない状況でした。※1

さらに世界から宣戦布告され、滅亡へのカウントダウンが始まっている以上、何もしないわけにもいきません。

それこそ現状維持ならパラディ島は問答無用で絶滅、大陸のエルディア人だって時間の問題です。

変化を起こすために、たとえそれが間違いだとしても選択するしかないでしょう。

だからエレンは少しでも前に進むために、要は時間稼ぎをするための手段として「地鳴らし」を選択しました。合っているとか間違っているとかの問題ではありません。物語の進行としてそうだということです。

ミカサやアルミンたちが「地鳴らし」を止めてエレンを殺すことで、世界はようやく次の段階に進むことが出来たのです。

※1. ユミルの民が持つ巨人の力は、外部から見て脅威なだけではなく、当人たちにとっても全然嬉しくないものです。知性巨人の場合は継承後に寿命が残り13年になることや、その力を巡って争いが起きたり、子が親を食うサイクルが生まれるなど、マイナスが大き過ぎます。エレンが(というか物語の結論として)巨人の力そのものを無くそうとするのはやむを得ないのではないでしょうか。

なぜ始祖ユミルは成仏できたのか

巨人の力の消滅とは、始祖ユミルが巨人を作り続けるのをやめることであり、そのためには彼女は「夢を諦める」必要があります。

最後にミカサとエレンのキスを見ていた始祖ユミルは、エレンやエルヴィンと同じように、ミカサに対して「解放してくれてありがとう」と思ったはずです。

始祖ユミルがこの境地に至るためには、地鳴らし以降の過程が必要だったと考えられます。

ラムジーをはじめ踏み潰される人々をその目で見て、エレンを止めに来るアルミンたちと戦う、という過程があってようやくミカサがエレンを斬ること、つまり自分が終わることを受け入れられたのです。

実は始祖ユミルの未練に気づいていたジーク

ジークは自分がわかっていることに気づいていない

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻137話「巨人」

ジークは始祖ユミルが残した未練について、エレンにはそれが理解できていたが自分にはできなかったと語っています。

が、しかし。

ジークが作った砂のお城は始祖ユミルの娘マリア、ローゼ、シーナを暗示 驚愕するアルミン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻137話「巨人」

ジークもその一部は深層心理でわかっていたのです。3つの砂のお城は始祖ユミルの3人の娘マリア、ローゼ、シーナを暗示しています。

ジークはユミルの民の呪いを断ち切るための方法に安楽死計画を選び、たとえ壁から出られなくてもクサヴァーさんとキャッチボールできればそれで良いという価値観の持ち主です。だから始祖ユミルの王への愛や自由への渇望を理解できないのは仕方がありません。

始祖ユミルはフリッツ王への愛情がこじれて巨人を作り続けることになりましたが、それに娘たちや子孫は巻き込まれた訳です。

ジークの両親・グリシャとダイナはエルディア復権派の活動に熱を上げてきちんと息子に向き合いませんでした。

おかげでジークは非常に辛い思いをした挙句、安楽死計画を推し進めることになる訳ですが、記憶を通じてグリシャの愛や後悔を知りました。

だからこそ、始祖ユミルが3人の娘たちに対して未練があることに気づけたのでしょう。

加筆分を読めばミカサもこのことに気づいていたことがわかります。

しかし、それがなくても実は始祖ユミルが3人の娘たちに対して未練があったことはわかるようになっていたのです。

高貴な王族の寛大な御心から学ぶ

始祖ユミルはジークとアルミンのやり取りに大きな感銘を受けたと考えられます。

奴隷だった始祖ユミルがフリッツ王を愛するようになったのは(それを愛だと信じ込むようになったのは)、巨人の力を必要とされたからです。妾となり娘を儲けるところまでこぎつけたものの理想と現実は違い、満足のいく形で愛情を得られませんでした。

死後も巨人を作り続け、負の連鎖から抜け出すことができない。自分の凝り固まった固定観念を覆せない。その方法もわからないままでした。

「地鳴らし」が始まっても、エレンに共感を示してもらっても尚、まだあと一歩が踏み込めない。だからアルミンたちがやってきてからもまだ抵抗していたのだと思います。わからないまま終わりたくなかったはずです。

そんな状況でアルミンに大爆発されては困ります。だからオカピ巨人にアルミンを食わせてジークに引き合わせた(?)のでしょう。

そして、誇り高き王族の末裔ジーク・イェーガーは小庶民アルミンの講釈にも真摯に耳を傾ける寛大さを示し、そこから着想を得て妥協案を見つけ出すや否や、即座に周囲に協力を呼びかけ、見事に自らの罪に落とし前をつけました。

この世に生まれてきたことを肯定して父に感謝する一方、人生を賭けて挑んだ安楽死計画の正当性を主張して恩師の顔を立てることも忘れない見事なバランス感覚。

これを見ていた貴族に憧れる奴隷だった始祖ユミルは「なるほど、そうやって折り合いをつければ良のか。これなら私も2000年の呪いから抜け出せるかもしれない。」

と、思ったのではないでしょうか。

自分が見落としていた何かに気づいたのです。

ミカサのキスの必然性

なぜミカサとエレンのキスが始祖ユミルを成仏させるための必須項目に加えられるのかと言えば、やはり「ミカサの選択」の必然性を持たせるためでしょう。

ただエレンが首を斬られて死ぬだけで済むのなら、介錯人がミカサである必要は無いということになってしまいます。

122話、137話で始祖ユミルが結婚式的な場面を眺めているコマがあります。

結婚式的な場面を眺める始祖ユミル

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻137話「巨人」

この場面は始祖ユミルにとっての「お前が始めた物語だろ」なのだと思います。

愛や人の繋がりに憧れ、そのせいで不自由に気づき、そこから自由を求めて豚を逃し、巨人の力を手に入れてしまったばかりにフリッツ王への愛に苦しみ、娘や子孫たちを苦しめることになってしまった。

しかし、それは必ずしも悪いことばかりではなかったのでは?

多大な犠牲を出したことは取り返しのつかない罪と言えるかも知れないが、愛を求めて苦しみもがいたことそれ自体は必ずしも間違っているとは言えないのでは?

そういう意味で、ミカサが生首エレンにキスをしたあの場面は、始祖ユミルが自分のしてきたことを受け止めるために必要だったということなのではないでしょうか。

始祖ユミルは満足して成仏した訳ではない?

悲しいかな、始祖ユミルは「王に愛されなかった」ということを認め「夢を諦めた」ということになるでしょう。

もし始祖ユミルが完全に満足して成仏していったのであれば、ミカサやエレンはただひたすら接待していたことになってしまいます。しかし実際はそうではなかったでしょう。

最終話でミカサに説教を喰らう始祖ユミルは138話の微笑みとは打って変わって沈んだ目をしていました。しかし、それでも命が繋がってきたのはあなたの功績では?的なことを言われ、最後は穏やかな顔で消えていきました。

エレンは始祖ユミルを救ってあげたいと思っていたでしょうし、この物語で起きたことはまるですべて彼女の解放のためにあったかのようです。とはいえ、救われるというのは必ずしも楽なことばかりではないのだと思います。

本誌連載時の138話のラストの煽りは「自由を知りたかった少年よ……さようなら」でした。始祖ユミルは「愛を知りたかった少女」ということになるでしょう。

しかし果たしてエレンと始祖ユミルは愛や自由について何も知らないまま終わったのでしょうか?

まとめ

エレンと始祖ユミルは同化、一体化しているようなところがあると考えられる。

始祖ユミルはエレンを通じてミカサが自分を解放してくれると理解し、ミカサの頭の中を覗いていた。

ミカサは自立するためにエレンを手放さなければならない。それが始祖ユミルの解放につながる。

始祖ユミルの解放には地鳴らし以降の過程が必要。ジークやアルミンの気づきは始祖ユミルの気づきでもある。

最後にミカサがエレンの生首にキスをする場面は、始祖ユミルにすべてのはじまりである愛に憧れた場面を想起させ、夢を諦めて死ぬ決意をさせたと考えられる。

始祖ユミルにノーと言いつつ慰められるのはミカサしかいない。

補足

上で述べたことの繰り返しも多いですが、補足。

フリッツ王が槍に討たれている描写

ミカサは始祖ユミルに「あなたの愛は長い悪夢だったと思う」と言いました。

フリッツ王が槍に討たれ始祖ユミルが娘たちと抱き合っている2コマは、始祖ユミルの別な夢ということになるのではないでしょうか。だからミカサは「おやすみなさい」と言ったのだと思います。

本編の現実世界は始祖ユミルの長い悪夢がユミルの民の精神や肉体に影響を与えていた世界なのかもしれません。

始祖ユミルはあくまでもユミルの民の内部にあるものだと考えれば、彼女が別の夢の世界へ行ったことは、言い方は悪いですがユミルの民の体内から病原菌が消え去った、または形を変えたという感じで捉えることが出来ます。であれば過去が変わったとかそういう話にはならないでしょう。

始祖ユミルが王を庇わなかった場面の意味

夢話が気に食わない場合は、あくまでもあれは始祖ユミルの「ああすれば良かった」という妄想だとしておくのが無難かも知れません。

エレンは死んでない?

エレンの死=巨人の力の消滅

みたいな前提で書きましたが、死んでいない可能性もあると思います。

始祖エレン&人間エレンは死に、巨人の力とユミルの民の道は消えた。しかし、エレンの民の道が新たに作られて、現実の世界では鳥になって飛び回っている。

だからエレンは鳥視点の記憶を持っているのだ、みたいなことがあるのかもしれません。

光るムカデ=エレンだったりしたらあり得るんじゃないでしょうか。

エレンはミカサと始祖ユミルを重ねている

エレンは「始祖ユミルは王を愛していた」「自由を求めて苦しんでいる」と感じました。

これは作中で何度も描かれてきた「ミカサのエレンに対する執着」&「エレンはミカサに自由になって欲しいと思っている」に重なります。

つまりエレンはミカサに対してずっと「ミカサは何だかオレに縛られてるな。自由になったほうが良いよな…」と思っていたから、始祖ユミルの気持ちもわかった、みたいな話です。

もしこの仮説が正しければ、最後の鍵がミカサでなければならないことの説明もつくと思います。

エレンにとって重要な「ミカサをどうする問題」が、そのまま始祖ユミルの問題にも繋がるからです。

ミカサが断ち切ったもの

ミカサはエレンを愛しており、一緒にいたいと願っています。

しかしエレンは始祖の巨人の力を手にし、地鳴らし虐殺爆進中です。

ミカサはエレンにそんなことをさせたくないので止めなければいけないとわかっているのですが、エレンを止める=殺すなので、躊躇いがあります。

「一緒にいたい」というささやかな願いすら叶わない悲劇です。その一方で、ミカサはエレンが生きている以上は執着してしまうという縛りというか呪いに掛かっているような側面もあります。

だからミカサにとってエレンを斬るということは、エレンを「巨人の力の呪い」から解放することに加え、自らもエレンへの執着を断ち切るという通過儀礼的意味合いもあるでしょう。

さらにややこしいことに、ミカサはそれでもエレンを忘れたくない、殺して愛は永遠になるみたいな、部分もあったりします。

エレンはエレンでミカサのことが大好きですので、殺されて離れ離れになるのは嫌なのですが、ミカサに自由になって欲しい気持ちもあるので胸中複雑です。この辺は解釈の幅がありまくりだと思います。

肝は「巨人の力の呪い」「愛の苦しみ的なもの」からの解放でしょう。

そしてエレンとミカサの関係の変化(解放)がそのまま始祖ユミルの解放に繋がるということなのだと思います。

始祖ユミルの微笑み

ミカサはエレンと始祖ユミルの「巨人の力の呪い」から解放しました。

そしてそれは同時にミカサ(ある意味エレンも)の「愛の縛り・苦しみ」からの解放も意味します。

ミカサが決断してくれてエレンは嬉しかったのでしょう。

エルヴィンがリヴァイに「夢を諦めて死んでくれ」と言われたあの場面のようなものだと思います。

だからエレンと同化している始祖ユミルが微笑んでいたのだと思います。

137話で始祖ユミルが求めた「繋がり」

137話でアルミンが言っていた「始祖ユミルが求める繋がり」ですが、逆算すれば結局「みんなの力」がなければミカサのエレン斬首&キスにたどり着かなかったよね、という話だと思います。

結局エレンとミカサだけではどうにもならなかった訳ですから。

始祖ユミルが2000年掛けて広げ続けたユミルの民のネットワークが、最終的に始祖ユミル自身の解放に繋がりましたね、ということです。

現実の自然や歴史も、時間が経って増え過ぎたり大きくなり過ぎたりすると、どこかで撹拌とか革命が起きてリセットされます。それを喩えているのではないでしょうか。

関連

記憶を見せるのは進撃か始祖か誰でもないのか

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とは?

メニュー
📑目次
📑目次