始祖ユミルが王を庇わなかった描写の意味。なぜ巨人の力が消えたのか

最終話で描かれた始祖ユミルが王を庇わなかったコマ(単行本加筆部分)はどのような意味を持つのでしょうか?

過去改変?妄想?世界が分岐した?

おそらく大多数は「王を庇わなかったコマ」はミカサの山小屋(138話)と同じように「選ばなかった方」を表現しており、一連の会話の場面は始祖ユミルが最終的にそれを選ばなかった現実(実際は王を庇った)を受け入れたという流れだと理解されているのではないでしょうか。要するにあのコマはあくまでも始祖ユミルが想像しているだけだということです。

では、それと巨人の力が消えることはどう絡んでくるのでしょうか?

始祖ユミルが王を庇わなかった

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻最終話「あの丘の木に向かって」

見方によっては、始祖ユミルが王を庇わず娘たちに巨人が継承される過去が変わったことによってユミルの民の巨人化能力が消えた、と解釈できるかもしれません。

しかし、過去が変わってしまったのであれば、当然2000年分の歴史も変わり、ミカサやアルミンらユミルの民の存在がなかったことになってしまいます。

それはおかしいというのは誰もが感じることだと思いますが、ではどうやって折り合いをつければ良いのでしょうか?

結論としては、始祖ユミルという存在は、言葉を選ばずに言えばユミルの民全員がもれなく保持しているウィルスとか病原菌のようなもので、彼女の精神状態が変わったから巨人の力が消えたということになります。それを映像化しているのがあのコマだということです。

ユミルの民から巨人の力が消えた仕組み

始祖ユミルは天界からユミルの民を見下ろしているような1対多のイメージではなく、彼女のコピーがユミルの民1人1人の中にいるという感じです(単純にツリー状のものだとしてもあまり変わりないかもしれませんが…)。

そうであれば、始祖ユミルの状態が変わったことによって、それに連動してユミルの民の体質が変わるというのも、ファンタジーとはいえごく自然なことだと感じられると思います。

始祖ユミルはユミルの民1人1人の中にいる…のイメージ

このように考えれば、あの一連の描写は過去が変わったという意味ではなく、現在進行系でユミルの民の状態が変わったもの、ということになります。

過去改変でもないし、世界が枝別れしたのでもないし、しかも単なる妄想ではなく、その中身が現実世界にしっかり反映される描写だったのです。

これでモヤモヤが解消されるのではないでしょうか。

全にして一、一にして全…みたいな感じで、1人1人のユミルの民はあの座標系(始祖を起点とする道の繋がり)の一部でありながら、同時にその座標系を体の中に持っている、と考えられます。

ユミルの民が巨人になるのは、始祖ユミルがずっと「悪夢」を見ていたからです。その「悪夢」がユミルの民1人1人の心(体?)の中にあり、特定の条件を満たすと「強くて大きな存在」のイメージが具現化して巨人になってしまう、ということなのだと思います。

そんな悪夢から始祖ユミルを解放したのがミカサ(&エレン他仲間たち)です。始祖ユミルはエレン達の行動を見て、特にアルミンとジークの影響で、王への愛の執着やら娘たちへの未練やら、娘を巨人にしてしまったものの子孫たちの繋がりが生まれている様を認識しました。

ミカサはエレンと2人で逃げれば良かったのかもしれないとずっと後悔していましたが、山小屋の場面を経て最終的に現実を受け入れ、自分の選択に自信を持ってエレンを殺すことにしました。この一連の行動は、始祖ユミルの王を庇わず3人の娘たちを守るべきだったのではないか的な後悔と重なっているのだと思われます。

だからミカサと始祖ユミルの会話というかミカサの一方的な語りですが、「たくさん人は死んだがあなたの選択もそれはそれで…」的な慰めを経て悪夢から解放された、ということになるのではないでしょうか。

最後にミカサは「おやすみなさい」と言いましたが、これは始祖ユミルがユミルの民の体の中から完全に消えた訳ではない、つまりその存在を否定しない、ということを示していると思われます。

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