なぜ1話のエレンは進撃の巨人を継承する前なのに「いってらっしゃい」の夢(未来の記憶)を見ることができたの?
この疑問には「なぜ、まだ進撃の巨人を継承していない10歳のエレンが未来の記憶を見たんだ?設定の矛盾ではないか?」というやや批判的な感情、あるいは、愛読書に致命的な欠点があったらどうしようという不安が含まれているような気がします。
この作品の設定として、エレンが未来の記憶を見ることができた理由は「未来の継承者の記憶を見ることができる進撃の巨人の継承者である父グリシャから巨人の力を継承し、その上でグリシャの記憶を通して自分の未来の記憶を見たからである」ということになっています(121話)。
だから、10歳のエレンはまだ巨人の力を持っていないのだから未来の記憶は見ることはできないのでは?変じゃない?と思われているということです。
この疑問に対する回答は、 この段階ではまだきちんと見てないからセーフ という半端なものになります。
回答を正当化するために、ヒストリアの記憶が開放された例との類似性、エレンの証言や「道」の時間のややこしさに注目して屁理屈を展開してみましょう。
目次
エレンが「いってらっしゃい」を思い出すまで
夢で「いってらっしゃい」を見てすぐ忘れる
©諫山創 講談社 進撃の巨人 1巻1話「二千年後の君へ」
そもそも、この場面のエレンは 未来の記憶を見た ことになるのでしょうか?
エレンは「いってらっしゃい」の夢を見ますが、起きたら中身を完全に忘れてしまっています(しかもこの後死ぬまでこのことに一切触れない)。
ミカサの髪の長さについて言及しますが、エレンのこの様子だと「夢で髪が短いミカサを見たから、起きた時に目の前にいるミカサの髪が伸びているように見えた」というようなはっきりした感覚はなさそうに見えます。
無意識(潜在意識)は覚えている、みたいな感じかもしれません。ミカサの髪が伸びている気がするけれど、なぜ自分がそう感じるのかわかっていないということです。
本人がまともに認識できていないものを「見た」とみなせるのか?と疑問を呈することはできるでしょう。
とにかく「普通に見たのとは違う」ということにして話を進めます。
ヒストリアとの接触によって未来の記憶を見る
©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」
そして5年後の勲章授与式でヒストリアと接触したとき、エレンは「いってらっしゃい」の記憶をきちんと見ました(130話の記憶の欠片が並んだページに小さく載っていることからそれがわかります)。このときはすでにグリシャから始祖の巨人と進撃の巨人を継承しているので、作中で明らかになっている設定と矛盾がありません。
夢を見るけどすぐ忘れる→巨人の力を継承→接触によって記憶の蓋が開く
という流れがあるということです。
このように、潜在していた記憶が顕在化する現象を、ヒストリアも体験しています。
ヒストリアがフリーダを思い出すまで
夢でフリーダを見て忘れる
©諫山創 講談社 進撃の巨人 13巻54話「反撃の場所」
ヒストリアはフリーダと過ごしたときのことを夢で見ていましたが、目が覚めたら中身をまったく思い出せなくなっていました。大事な何かを見ていたという感覚はあるようです。
そして、エレンも同じ経験を何度もしていると発言しています。
©諫山創 講談社 進撃の巨人 13巻54話「反撃の場所」
ご存知のように、ヒストリアが見ていた夢はフリーダが始祖の巨人の力を使って消したはずの記憶です。
エレンとの接触によってフリーダのことを思い出す
©諫山創 講談社 進撃の巨人 左・16巻63話「鎖」右・15巻62話「罪」
ヒストリアは後にレイス家礼拝堂地下でロッドと共にエレンの背中に触れることによって記憶の蓋が開き、フリーダのことを思い出します。
思い出せないだけで彼女の中に記憶自体は存在していたということです。
この一連のエピソードから、実は記憶の消去(改ざん)の効力はけっこう弱いということがわかります。すべての記憶消去が同じように不完全なものかは不明ですが、完全に消えないパターンが存在することは事実です。
この例から推測できるのは、フリーダやエレン、初代壁の王カール・フリッツがやった記憶消去は、記憶が「道」から消し去られるのではなく、アクセスが遮断されるだけだということです。
エレンが死んだ後にアルミンたちの記憶が戻ったということは、記憶は「道」にも本人の中にもあって同期されており、記憶のアクセスは「道側」でなく「本人側」で遮断するような仕掛けを始祖の巨人の継承者が施したと考えることができます。なぜなら記憶が「道」にだけ存在していてそこで遮断されているのなら、巨人の力が消えたときに記憶も一緒に消えてしまうことになるからです。
この「道」と本人の両方に記憶が存在する形式は、本人が死んでもその人の記憶は「道」に存在し続けること――知性巨人の記憶が継承者間で受け継がれること、知性巨人を介して受け継がれていなくてもハンジが調査兵団の仲間たちを見たこと、ジャンやコニーが最後にサシャの姿を見てすぐ消えたこと――総じてユミルの民の繋がり的なところをうまく説明すると思います。
巨人の力が消えた後も形を変えて「道」は残っている考えることもできるでしょう。もしそうであれば、エレンの鳥の記憶や、エピローグであの丘の木がどんどん大きくなったことも上手く関連付けることができます。
道の時系列と記憶の潜伏
エレンの記憶忘れは「いってらっしゃい」だけではない?
上で挙げた54話でのエレンの「オレもそれよくあるぞ」は重要な証言です。エレンは1話の「いってらっしゃい」の他にも、複数回(何度も、と言っていいでしょう)に渡って同様の体験をしていることになるからです。
巨人継承から5年間、エレンが先代の記憶を見た様子はありませんでしたが、まったく何も見ていないのではなく、自覚できるような見え方をしていなかった。その中の代表的な例として1話の「いってらっしゃい」があったと考えることができます。
未来の記憶である問題への対処法
ここまで来ても、でも「いってらっしゃい」は未来の出来事の記憶じゃないか、というツッコミを許す余地は残ってしまいます。
しかし、ちょっと見方を変えると、138話の山小屋は単純な未来とは違う別のものとみなすことができます。
山小屋のエピソードは、1話のエレンからすれば将来自分が目撃することになるという意味では未来の出来事なのですが、その出来事が「道」で起きているのなら、その出来事自体がいつなのかはあやふや になるからです。
例えば、120-121話のグリシャの記憶の中での出来事は果たしていつのことだと言えばいいのでしょうか?
レイス家礼拝堂地下の場面は暦の上では845年ですが、そこにいるグリシャは854年の存在であるはずのエレンとジークを記憶を介して観測・認識できていたということは、その「記憶自体」は845年の段階で既に存在していなければなりません。
このような因果のループによるタイムトラベル的な不思議現象を成立させるには、すべての記憶は最初から存在していたという体裁にする必要があります。こうなってくると、その記憶が「いつなのか」を正確に特定することはどんどん難しくなります。
当然「138話の山小屋の記憶」も例に漏れず、「いつなのか」は特定できないでしょう。
これは強引だと思われるかもしれませんが、1話のエレンが「いってらっしゃい」を夢で見たことを正当化するには、「生身のエレンが肉眼で見たもの」と「道で起きた出来事」を区別して勝手に境界線を引くぐらいしか方法はないでしょう。
赤ちゃんエレンは未来のジークとエレンが見えていた?
©諫山創 講談社 進撃の巨人 30巻120話「刹那」
グリシャの記憶を見ている未来のジークとエレンを赤ちゃんエレンが見てる場面があります。直接未来の記憶を見ている、ことになるのでしょうか?
これが何を示唆するのかは謎です。作中ではっきり説明されたことはありません。子供の頃は妖精が見えてたけど大人になったら見えなくなった……みたいな話は現実でもよく聞く話ですから特別変な描写でもないのですが、エレン以外の例がないので記憶システムの説明に使えるかというと微妙だと思います。
無垢な存在に近ければ「道」と接続しやすい、とか、この場面では19歳エレンと赤ちゃんエレンとグリシャで記憶が無限ループして定着しやすくなっているみたいな考え方をすれば、10歳のエレンが「いってらっしゃい」を見たのも突拍子もないことでもないと思うことはできます。
接触によって記憶の蓋が開く
眠っているときに記憶を見る。起きたらすぐに忘れて思い出せなくなる。
↓↓↓
接触をきっかけに思い出す。
この流れは、エレンとヒストリアの双方に共通しています。
未来の記憶だろうが、消された記憶だろうが、アクセスするのが難しいというだけでそれは常に存在している(どこに?道?自分の頭の中?)。
そして、いざ強烈なきっかけがあったときに記憶の蓋が開いてアクセスできるようになる人もいる。
まとめ
1話のエレンはこの段階ではまだ「いってらっしゃい」をきちんと認識できていなかったが、潜在的にその記憶が存在することが読者には示唆された。後に血縁者である父から巨人の力を継承した状態で王家の血筋であるヒストリアと接触したことによって記憶の蓋が開いたのである。というのが穏当な落とし所だと思います。
10歳のエレンは「いってらっしゃい」を きちんと見てはいない。見たのは読者だ、ぐらいに思っておいても良いのかもしれません。
ヒストリアが持つフリーダの記憶のように、エレン本人の中(「道」の中?)には「いってらっしゃい」がずっとあり、巨人の力の継承した状態で王家の血筋との接触することによって記憶の蓋が開いて初めてそれを認識できました。
潜在していたものが顕在化する流れを見せることで、作品の世界観を構成する重要な設定のひとつである記憶や道がどのようなものかを示唆していたと読むことができる、ということにしましょう。
このような読み方は、クルーガーの「ユミルの民は道で繋がっていて誰かの記憶や意志がそこを通ってくる」という説明や、血縁者同士では記憶の繋がりが強いこと、始祖の巨人は道の原点であり王家の血筋はそれに極めて近い存在であること、そういった設定とは矛盾していないと思います。
補足1: 他のキャラクターの例はあてになるのか?
エレンとヒストリアの例だけで、一般化してユミルの民全員に通じる法則であるとみなすことはできないでしょう。
かといって、エレンの「いってらっしゃい」の謎に対する明確な回答を得るための参考資料として他に良い例があるかといえば、ほとんどないと言わざるを得ません。
グリシャとクルーガー
まず筆頭候補として、進撃の巨人継承者のグリシャとクルーガーがいます。しかし、グリシャは進撃の巨人を継承する前に未来の記憶を見ていた様子はなく、クルーガーは継承前のエピソードが存在しません。
マーレ組
次にエレンと同世代のライナーらマーレ組に関しては、知性巨人を継承する前のエピソードが少なく、記憶に関するものは皆無です。
ファルコ シーズン4の第1話
唯一、エレンと似た経験をしているのはアニメ版のファルコです。しかし、これは放送間隔が開いてしまったため視聴者に対して説明する意味も込めたイースターエッグ的な要素に過ぎず、「ユミルの民であれば誰でも巨人の力なしで未来の記憶を見られる」ということを保証するものではありません。あの場面だけで、ファルコが見たものが「誰か別人の記憶」であるとか、それが「未来の記憶」であると判断するのは無理があります。とはいえ、軽くふざける余裕があるということは、記憶を見る見ないということに関して作者はそこまで厳格なシステムを想定していないと予想することはできるでしょう。
厳格でないのであれば、1話のエレンについても「細かいことは気にするな」で済ませられる可能性があるということになります。
補足2: 「いってらっしゃい」は何のためにあるの?
このシーンの意味は何なんでしょうか。
あれは何なんだ?いつ再演されるのか?ということで、連載開始から完結直前まで(完結後も?)読者を惹きつけ続けることになりました。そういう効果はあったでしょう。
ストーリー上どんな意味があるのかという話になるとなかなか難しいことになってきますが、基本的には示唆、提示なのだと思います。
兆し、読者へのヒント/メッセージのようなもの
物語の最序盤にエレンが見ていた夢は自分自身の最後の瞬間でした。未来が変わらない(つまり過去も変わらない)ことは1話の段階で示されていました、 ということになるので伏線といえば伏線なのでしょう。
ただし、物語を大きく動かすダイナミックな回収とは違ってちょっとあっけないと感じた人もいるとは思います。最後なんだからそういうものだといえばそういうものです。深みが出る、奥行きが出る、あれのおかげで不思議な読み味が出る、などと思っておくのが良いのかもしれません。
始祖ユミルからのメッセージ?
- 1話のタイトルが「二千年後の君へ」である
- 122話「二千年前の君から」でエレンが始祖ユミルに「オレをここまで導いたのはお前なのか?」と言った
- 138話の最後(「いってらっしゃい」と重ね合わせるように描かれている)の場面を始祖ユミルが見ていた
これらの描写からそう読み取ることはできなくもないと思います。始祖ユミルは自由を求めて苦しんでいたから開放してほしくてエレンに訴えた……のような。
しかし、「いってらっしゃい」の中に始祖ユミルは出てこないし、エレンはこの夢のことをすぐに忘れてしまいました。ここで強引に始祖ユミルの意図を定め、その意図からストーリー上の明確な因果関係を見出そうとすると、多くの仮定を必要とするため何か大切な神秘性を損なうような気もします。
とはいえ、無関係というのもそれはそれで風情がない感じがして寂しいでしょう。
エレンとミカサのあの丘の木
©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」
エレンは130話で地鳴らしがマーレの大陸に突入するときの回想で、あの丘の木で昼寝する場面の回想をしています。
エレンは「いってらっしゃい」の夢を見たのがこのときであると自覚しているということかもしれません。まさにその日に壁が破られ、復讐に燃えることになりました。
そのことから、あの夢が始まりだったのではないか?と考えた。そういう象徴的な出来事であるとみなすこともできるかもしれません。
©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻138話「長い夢」
ミカサも138話で「山小屋」の回想に入る直前に頭痛に悩まされながらあの丘の木で昼寝するエレンの姿を回想しています。
ミカサにとっては取り戻したい日常、まさに「家」であり、しかしそれは叶わずエレンを送り出すことになるという現実との葛藤を感じさせます。
ミカサがエレンに「いってらっしゃい」できるようになるまでの苦悩は、始祖ユミルが苦しんだ2000年と重ねているところはあると思います。
そして最終的に、エレンとミカサはこの木の下で永遠に眠ることになり、その木は始祖ユミルが巨人の力を手にすることになったあの木と同じように成長して……というところで物語は終わります。
作中の描写として意味があることと、登場人物の意図があることは違う
死ぬ直前の始祖エレンが過去の自分を導くために10歳のエレンに記憶を送り返していた、みたいな仮説というか、そうなんじゃないか的な噂があります。
しかし、エレンが何かを達成する上でこの記憶が何かの役に立ったと言えるだけのエピソードはありません。エレンは勲章授与式より以前に「いってらっしゃい」を思い出すことはありませんでした。また、勲章授与式以後もそれについて語ったり、何か考えたりする様子もありませんでした。だから未来のエレンが過去の自分のために記憶を見せたとみなしても、何のためにそんなことをしたのかを説明できず、それができる証拠もありませんので、意味のない仮定ということになります。
そもそも、「いってらっしゃい」に限らず、エレンが見た「未来の記憶」の断片は、事前にそれを知ることで攻略をアシストするアイテムではなく、エレンを悩ます呪いといったほうがふさわしいでしょう。未来の記憶に都合の良い意図を見出そうとする試みは強引な推測が絡んだ挙句、循環論法に陥って破綻します。







