「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とは?

最終話でエレンがアルミンに語った「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する だから… 仕方が無かったんだよ…」の意味について考察します。

「始祖の力がぶっ飛びすぎている!何でもありじゃないか!」と感じ、最終回にガッカリした、戸惑った、茶番だ、萎えた…という人のためになるかもしれません。逆に悪化する可能性もあり得ますが。

エレンのセリフは正確に解釈するのが難しい日本語だと思うのですが、世間では「始祖は過去未来関係なく全ての巨人をコントロールできる」みたいに理解されている空気を感じます。

早合点ではないですか?いったいどういう理屈でこの解釈が導き出されたのか、謎です。

果たしてエレンは神に等しい力を手に入れ、時を超えて何もかも操っていたのでしょうか?

それはさすがにやり過ぎだと思います。

どうにかして、もっと控えめにできないものでしょうか。

結論としては、突き詰めれば「わからない」になりますが、少なくとも「エレンは全てに介入していた訳ではない」という解釈まで持っていくことは十分可能だと思います。

おそらく、 何が原因でどうやってダイナ巨人を操ったのか? というところが肝です。

後半では始祖エレンの介入云々もさることながら全体的な理解に関わるであろう「過去と未来が同時に存在する」について考察しています。

目次

前置き「始祖の力がもたらす影響~」の解釈

くどくて長い前置きです。

  • ✕「始祖の力がもたらす~」→「始祖の巨人は過去未来関係なく全ての巨人をコントロールできる」:そうとは限らない。必ずしも結びつかないのでは?
  • ◯「始祖の力がもたらす~」→「エレンがダイナ巨人を誘導した」:それならわかる。

ということを説明するためにぐちゃぐちゃ書いています。

本題は 最終話でエレンはアルミンに何を話したのか? からです。

★★★

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」

このセリフというか文章は、たとえば以下のように解釈できるでしょう。

始祖の巨人の力を使えば、過去も未来も関係なく全ての巨人(ユミルの民)に同時に影響を与えることが可能

だから始祖を掌握した854年のエレン(未来)は、845年のダイナ巨人(過去)をコントロール出来たのだ――

このような解釈は割と多数派なのではないでしょうか。

確かに、実際に起きた事と照らし合わせると間違っていないように思います。

しかしこれは勝手な補完や前提が加えられた強引な解釈です。特に「過去も未来も関係なく全ての巨人」というところには本当は全然根拠がありません。

この手の能力においてめちゃくちゃ重要な意味を持つ「範囲」や「程度」についての情報が不足しているのに、先走って決めてつけています。

「進撃の巨人の特性」を「未来視能力」とか「未来予知能力」と言っているのと同じようなものでしょう。※1

過去未来同時に存在するのはあくまでも「もたらす影響」なのであって、あのセリフを「過去未来関係なく巨人を操れる」と変換するのは飛躍し過ぎのような気がしますが…。

とはいえ、何となく合っている感じがするし、絶対違うとも言い切れないので様々な憶測を呼ぶのはわかります(作者は狙ってやっているのかもしれません)。

エレンは始祖の力を使って色々な場面に介入し、都合よく世界を動かしていたのではないか?

当然、そう思われるでしょう。

世界には巨人(ユミルの民)以外の人間もいるのだから、全てが思い通りになる訳ではないような気がしますが、それでもかなりの部分に介入できることは確かです。なんだか全てがエレンの掌の上という感じがしてモヤモヤします。

※1. グリシャは『「進撃の巨人」は未来の継承者の記憶をも覗き見ることができる…つまり未来を知ることが可能なのだ』と言いました。(121話「未来の記憶」)

このセリフから「進撃の巨人の能力」を「未来視(未来予知)」と見なし、「エレンは先のことが全てわかっている」と解釈するのは無理があります。

進撃の巨人の継承者が見えるのは「未来の継承者の記憶」を通じてわかる未来だけです。何でもわかる訳ではありません。

エレンが好きなように介入できるとしたら?

もし、始祖の巨人の力を使えば過去も未来も関係なく全ての巨人(ユミルの民)に影響を与えることができるのだとしたら。

色々と考えなければいけないことはあるのですが、とりあえず疑問に思われそうなのは以下のようなものでしょう。

無垢は操れるけど知性巨人は無理なのでは?

コントロールは奇行種だけで普通の無垢の巨人は操っていないのでは?

2、3日考えたところで答えは出ないでしょう。何しろ作中で明確に描かれていないのですから無理もありません。

そもそもエレンは過去に遡れるわけですから、もし何か実現したいことがあるのであれば、2000年前に戻って始祖ユミルを説得すれば良かったのではないでしょうか?

自由に介入できるのに結末がこれかよ、と思ってしまうのですが…。

するとこんな声が聞こえてきます。

「いやいや、そうじゃないんです。1~34巻までのストーリーを見て下さい。これは変えられません。すべてエレン神が導いたことなのです」

エレン神は自分にとって都合の悪い出来事も受け入れ、むしろ悲劇すら逆手に取った。その上で時空を超えて色々な場面に舞い降りて細やかな調整を施し、人類8割を踏み潰して始祖ユミルを解放まで導いた…らしいです。

なんだか頭がめちゃくちゃになってきました…。

本当にエレンは全ての巨人を操れるのでしょうか??

「始祖の巨人の能力」を解釈することの問題点

始祖の巨人の力を使えば、過去も未来も関係なく全ての巨人(ユミルの民)に影響を与えることが可能。

だから始祖を掌握した854年のエレン(未来)は、845年のダイナ巨人(過去)をコントロール出来た。

この解釈の問題点は、エレンのセリフを「始祖の巨人の能力の説明」として読み解いているところでしょう。

エレンはアルミンに自分の身に起きたことや感じたことを言葉を濁しながら話しただけです。

本当のところはどうかはっきりしないのに、たった1つの事例を取り上げて早々に「始祖の巨人の能力」を決めつけるのは、グリシャが「進撃の巨人の特性」を語ったときに「進撃の巨人の能力は未来視」と断定されたのと似ています。

「はっきりしない始祖の巨人の能力」を基準にして、後からオレオレ設定を付け加えて「エレンの介入があったかどうか」を考えてみても無理が生じて虚しくなるのは当然です。

能力があれば使えるのか?

そもそも、もし仮に始祖にスーパーパワーがあったとしても継承者はそれを使いこなせるとは限りません。

人間は自分の脳の全てを使いこなせていないそうです。10%しか使っていないとか、本当はもっと使っているとか、色々な説があります。

いずれにせよ、人間は自分の脳や身体を完璧に使いこなせない、ということです。

例えば、プロ野球選手のほぼ全員は「ホームランを打つ能力」を持っていますが、いつでも思うようにその「能力」を発揮出来る訳ではありません。

試合ならまだしも、練習の時ですら「今、ホームランを打とう」と思っても絶対に打てるとは限らないでしょう。少なくとも100%は無理です。

エレンの「過去未来関係なく全ての巨人を操る能力」だって同じことでしょう。エレンが100%思い通りに「始祖の能力」を使いこなせるという前提が間違っている可能性があります。

マンガだから「能力」は使いこなせる?

作中で「巨人の力を使いこなせないエレン」が何度もしつこく描かれています。

グリシャはエレンに巨人を継承する時、「この力を支配しなければならない」と言っていました。

注射をされて先代を食って、はい「〇〇の巨人」インストール完了、というお手軽な話では無いのです。

使いこなせない人たち

終盤を読んでいると「エレンはユミルや自由の奴隷なのでは?」という感想を抱く人が多いと思いますが、これは「巨人に支配されている」と言い換えても良さそうです。

つまり、「能力」を使いこなす以前に、「巨人を支配するか、巨人に支配されるか」という、自分との戦いみたいな部分がこの物語の肝だったりするのでは?ということです。

始祖ユミルも、145代目の王カール・フリッツ(壁の王)も、そしてエレンも、結局「始祖の巨人の力」を「十分に使いこなせなかった」と言えるのではないでしょうか。

「道」は時間無制限だからいくらでも練習できる?

エレンにその気があれば、という前提が必要です。

同じ環境に居た始祖ユミルはどうだったでしょうか?

モヤモヤを解消するためには

こう考えると、もし仮に「過去未来関係なく全ての巨人を操る能力」というものが存在するとしても、その能力をパーフェクトに使いこなして問題解決することがこの作品の主題ではないとわかると思います。

むしろ不完全さこそが醍醐味ではないでしょうか。

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」を「始祖の巨人は過去も未来も関係なく全ての巨人を操ることができる」と解釈すると、どんどん横道に逸れてしまいます。

つまるところ持っていきたい着地点は、「始祖の巨人の力」によって生まれる茶番感の解消です(ここではエレンの「地鳴らし」をアルミン達が止めることが茶番かどうかということには触れません)。

始祖の力がスーパーであるという前提が消えなければ、エレンが全介入出来る可能性も消えないので、いつまでもモヤモヤは払拭されません。

納得のいく解釈を生み出すには、別の角度からこのセリフを分析するしかないような気がするので、エレンのセリフだけでなく、最終話の9-10ページの流れや他の描写も合わせて考えることにします。

最終話でエレンはアルミンに何を話したのか?

エレンはアルミンに「始祖の巨人の能力」を説明したり解説したりした訳ではありません。

ただ単に自分の身に起きたことや感じたことを自分の言葉で話しているだけです。

  • エレンがアルミンに泣きながら語っている ← 能力説明としては相応しくない状況
  • 「始祖の影響云々…」「だから仕方無かったんだよ」 ← エレンには再現できない?防げない?

確かに、エレンがダイナ巨人を誘導した、明らかにそう思われる表現は出てきます。

しかし「エレンがダイナ巨人を誘導したのは始祖の力の影響である」ということが成立しても、この事例だけで「始祖は過去未来関係なく全ての巨人を操れる」とは言えないのです。

泣きながら話すエレン

始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻最終話「あの丘の木に向かって」

 

アルミン…

オレは…頭がめちゃくちゃになっちまった…

始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する

だから… 仕方無かったんだよ…

エレンは「人類8割虐殺」「仲間を巻き込んだこと」について語っているときはまだ落ち着いています。

しかしアルミンに「辛かったよね…」と言われた後、エレンが目に涙を浮かべるコマが挿し込まれ、縋るように続きを話し始めます。

この流れの中で「始祖の力がもたらす影響には~」が語られている、ということが重要なのではないでしょうか。

秘書みたいなロボットが出てきて能天気に「やあアルミン!説明しよう!!始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無いのである!!!」とやっているのではありません。

頭がめちゃくちゃになり、罪悪感に苛まれて、だけど「地鳴らし」はどうしてもやりたい、言いたいことがあっても目的達成のためには誰にも事情を話せず、死に際になってようやく幼馴染の親友に本音を打ち明けている、という状況です。

ダイナ巨人のベルトルト・スルー&カルラへ直行

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻最終話「あの丘の木に向かって」

 

あの日… あの時…

ベルトルトは まだ 死ぬべきじゃなかった…

…だから 見逃して…

…に 向かわせたのは

エレンは、自分が感じたこと、起きたこと、そして思ったことを話しています。説明でも解説でもありません。セリフです。

「頭がめちゃくちゃになっちまった」「仕方無かったんだよ…」という言葉から、エレンは「始祖の力がもたらす影響は、取り扱いが非常に大変で自分の手に負えないもの」と認識しているように感じられます。

エレンの気持ちとしては、期せずして起きてしまった「ダイナ巨人の誘導による母カルラの死」だけれども、後から振り返って見ればベルトルトはあの時まだ死ぬべきじゃなかった。だから仕方無かったよな?そうだよな?アルミン…?という感じなのだと思います。

頭がめちゃくちゃで弱気になっているエレンが涙声で「仕方無かったんだよ」と添えて暴露したのが「ダイナ巨人の誘導」なのです。

「悪魔が無慈悲にベルトルトを審判にかけ、母親殺しを選択している」のではなく、不可抗力、副作用のような感じなのではないでしょうか。

“何が”ダイナ巨人を誘導したのか?

では“何が”ダイナ巨人を誘導したのでしょうか?

おそらくこれです。

駆逐してやる一匹残らず① 駆逐してやる一匹残らず②

©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」

「呼び寄せた」「呼び寄せてしまった」のではないでしょうか…。

854年の始祖エレンが845年の少年エレンに憑依したような凄まじい表情です。

始祖の力がもたらす影響が過去と未来に同時に存在している…ような気がします。

130話より以前から、このダイナ巨人の場面は何度も何度もしつこいくらい登場してきました。エレンの頭の中で絶えず繰り返し描かれてきたのでしょう。

そして854年に「地鳴らし」がマーレの大陸に上陸する時、エレンの心の中で845年に抱いた「駆逐してやる一匹残らず」が爆発したようなイメージです。

逆に、845年にエレンがハンネスに担がれているこのとき、既に「地鳴らし」は起きているとも言えます。

10歳の少年エレンが「駆逐してやる」と言ったのは、避難船の上です。しかし、130話ではダイナ巨人が母を食う場面に被せてきています。いつどこで、どのタイミングで、というのは終始曖昧であり、過去と未来のエレンの感情が渾然一体となって渦巻いている感じなのではないでしょうか。

エレンの怒りや憎しみが強まれば強まるほど、「ダイナ巨人がカルラを食べる場面」が呼び起こされてしまう。

見たくない、避けたい、あって欲しくなかったと思えば思うほど、逆にそうなるような現実を引き寄せてしまう。

つまり、始祖エレンの憎しみがダイナ巨人を誘導してしまう、ということです。

また、エレンとダイナ巨人は50話の「ペチン」によって繋がったと言っていいでしょうし、始祖掌握に不可欠だったジークはダイナと母子なので元々繋がりが深いと思われます。ダイナ巨人を誘導するための下準備は整っていたのではないでしょうか。

グリシャのレイス家惨殺との共通点

「エレンは始祖を掌握したことで“巨人コントロール能力”を手に入れて、その力を使ってダイナ巨人を誘導した」

ではなく、

「始祖の力を掌握しているエレンが“駆逐してやる”と怒り狂ったから、ダイナ巨人を誘導することになった」

という流れなのだと思われます。

これはエレンがグリシャを誘導したときも同様でしょう。

レイスファミリーの皆様 そんな結末納得できない

©諫山創 講談社 進撃の巨人 33巻131話「地鳴らし」

131話で、エレンがマーレの街中を歩きながら、世界とエルディアどっちが滅ぶべきか考えている最中に、レイス家礼拝堂地下のフリーダの姿を思い浮かべ「そんな結末 納得できない」と悲愴感たっぷりに怒りの表情を浮かべる場面がありました。

これは121話の記憶ツアーで、エレンがフリーダの「エルディア人が滅べば良い」という話を聞いて怒り、「立てよ父さん」と言いながらグリシャをけしかける流れとリンクしていると考えられます。

131話でマーレの街を歩いているエレンと、121話の記憶ツアーでレイス家礼拝堂地下にいるエレンが連動している、同時に存在している……ということは、始祖の力がもたらす影響が過去と未来に同時に存在しているような気がするのですが、深読みし過ぎでしょうか。

また、「立てよ父さん」と言うエレンは憎しみや怒りが抑えきれなくなり、訳もわからず半ば無意識に行動しているような感じに見えます。

それくらい強烈な感情の動きがあったとき、初めて始祖の力が時空を超えて影響を与える、というのは落とし所としてまあまあ妥当ではないでしょうか。

怒りや憎しみが原動力?

エレンにとってダイナ巨人は憎しみの根源でありながら、同時に進み続けるために必要なエネルギー源になってしまっているのだと思います。

当然、少年エレンが母カルラの死によって復讐心を抱くことが「地鳴らし」に繋がり、「ミカサの選択」に到達するために「必要」だから、「全ては必然なのだ」という事情もあるでしょう。

ベルトルトが生き残ったおかげでアルミンが超大型巨人を継承することになったのをはじめ、ありとあらゆる出来事の起点であることも間違いありません。

怒りや憎しみがエレンの原動力なのであれば、最後は愛が絡んでそれによって止められることで終わったというのも、エレン1人だけではここまで出来なかったよね、という話になるので流れとして綺麗だと思います。

そして、結局最後にはどうなったのかと言えば「巨人の駆逐&エルディアに自由と尊厳を取り戻す」というエレンやクルーガーが掲げていた当初の目的が、形や方法はどうあれ達成されたのです。

エレンだけでなくみんなが手を汚し、犠牲が出まくり、全てが虚しくなるほどボロボロになり、それでようやくパラディ島だけを悪者にして騙し騙しやるしかなかった世界が次の段階に進みました。まだまだ問題は山積みです。

だから「仕方無かったんだよ」なのではないでしょうか。

「仕方無い」といっても色々あるわけで、ネガティヴに受け止めて失望する必要はないのかな、と思います。

130話の記憶の断片に「過去」が混ざっている理由

130話には問題の「ダイナ巨人視点のベルトルト」の「記憶の断片」が登場します。

※最右・上から2番目がダイナ巨人視点のベルトルトの記憶

130話の記憶の断片

©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」

これは850年(90話時点)の勲章授与式でエレンが見た「未来の記憶」です。ほぼ全てが850年より後の出来事が描かれています。

しかし、「ダイナ巨人視点のベルトルト」と「2羽の鳥(これがアニメ1話の逆輸入だとしたら)」「レイス家礼拝堂地下のグリシャ」の3つは845年の出来事なので、850年から見ると過去です。

なぜ3つだけ「過去」なのでしょうか。別におかしくはないのですが、統一感がないので少し違和感があります。

これはつまり、エレンからすると全て「未来の記憶」ということなのではないでしょうか。

854年「座標」に到達し、グリシャの記憶の旅(記憶ツアー)の中で、「うなだれるグリシャ」を見る。

854年「地鳴らし」の最中に「駆逐してやる」という強い感情が押し寄せることで、「ダイナ巨人の誘導の記憶」を見る。

854年「鳥の視点を手に入れた後」に「2羽の鳥」を見る。←鳥視点のファルコもおそらく同じ仕組み。

「地鳴らし」がマーレに上陸して「駆逐してやる(ダイナ巨人のカルラ捕食)」が描かれる回に、「ダイナ巨人視点のベルトルトの記憶の断片」が登場するということは、この2つが繋がっていることを示唆しているのではないでしょうか。

なぜエレンは「オレが望んだこと」だと感じているのか?

エレンが言葉を濁している以上、ダイナ巨人の誘導はエレンが意図してやったことなのかどうか、真相はわかりません。

とはいえ、最終話の描写を見る限り、エレンが関与しているらしいことはほぼ確実であり、エレンが自分のせいだと思っている様子も伺えます。

かつてエレンはグリシャのレイス家惨殺の記憶について、それが父グリシャのものであると認識しつつ「感触も残ってる」と語っています(115話)。

だとすればダイナ巨人の記憶を見た時に「自分が誘導しているかどうか」ぐらいはわかるのではないでしょうか。

感覚的にはロッド・レイスにとどめを刺したときのヒストリアに近いのかもしれません。

結果と原因

無意識に動くヒストリア

©諫山創 講談社 進撃の巨人 17巻68話「壁の王」

 

あれは…私の妄想?

私は…本当に…自分の意志で動いてるの?

もう…わからない ……けど

こうやって流されやすいのは間違いなく私…

ヒストリアは自分の意志で動いていたのか、そうでないのか、答えは藪の中です。

しかしヒストリアは、起きたことを、また、流される自分を受け入れて前を向きました。

エレンも同じなのだと思います。

「始祖の力」を手にした自分が「ミカサの選択」に辿り着くために進み続けるということは、その過程で起きる残酷な出来事がたとえ始祖の力がもたらす影響だとしても「すべてオレが望んだこと」だと認めるしかない。むしろそう認めないと進み続けられない。

ありとあらゆる「結果」は、突き詰めれば「何が原因か」はわからないものです。強いて言うなら、「オレがこの世に生まれたから」ということになります。

どう受け取るかは自分次第、という話なのではないでしょうか。

エレンは上手く巨人を操作できないのでは?

しつこいようですが、「始祖の巨人の能力」が「過去未来関係なく全ての巨人を操作できる」だと証明できる描写はありません。

また、仮に「始祖の巨人にはそういう力が備わっている」としても、継承者が自由自在にその力を使えるとは限らない、ということは上で主張しました。

エレンは1つの事例について語っただけ

始祖の力を宿す自分が強烈な憎しみを抱いたことにより、過去のダイナ巨人に影響を与えていた(誘導していた)という自覚がエレンにはあるらしい。

エレンはこの出来事、現象を「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」と表現したのだと考えられます。

あくまでも1つの事例を通して感じたことを語っているだけなので、この現象、力を 再現性があるものと判断することは出来ません。

ここからわかるのは「未来のエレンがダイナ巨人を誘導したのだろう」ということだけでしょう。他にも応用が効くかどうかは謎のままです。

エレンが始祖の力を自在に使えるかどうかなんて、全然わかりません。

始祖の力を使う時の精神状態

あの時は訳わかんなくなっちまって

©諫山創 講談社 進撃の巨人 13巻51話「リヴァイ班」

 

あの時は…訳わかんなくなっちまって

何が起こったのか…まったく…

13巻51話でエレンがダイナ巨人と接触して巨人を操ったときのことを振り返って言ったセリフです。

頼りなさ過ぎて笑えてきます。

確かにあのときエレンはただ叫んだり「来るんじゃねえ」とか「ぶっ殺してやる」と言っていただけです。ジークのように「〇〇しろ」などと巨人に命令していた訳ではありません。

そんな状態で好きなように様々な場面に介入できるのでしょうか?

それとも始祖を完全に掌握すれば、冷静に落ち着いて力を使えるようになるのでしょうか?

しかし最終話のエレンは、つまり始祖を掌握しているはずのエレンは「頭がめちゃくちゃになっちまった」と語っています…。

始祖の力がそんなに都合の良いものとは思えません。

過去と未来が同時に存在するとは?

本当のところは作者のみぞ知るなのですが、おそらく進撃の巨人は決定論的世界観で作られています。

過去や未来の出来事が予め決まっていて変えられない世界は、過去と未来が同時に存在しないと成立しないということです。

「過去と未来が同時に存在する」「時間は流れていない」みたいな話は、ちょっと調べれば物理学の世界でもそういう理論があることがわかると思います(スポットライト理論、ブロック宇宙論など)。

「進撃の巨人は〇〇理論を元に作られている」ということを主張したいわけではありません。SF作品の時間設定として、普通にありえることだという話です。

ただし「進撃の巨人」がややこしいのは、タイムスリップ的な描写があるところでしょう。

とはいえ、これも「すべてが最初から決まっている」という前提を基に考えれば、エレンが過去へ何かしら影響を与えることも全て織り込み済みとして受け入れられます。

過去と未来が交錯する描写を理解するためには、「パラレルワールド」「ループ」「if世界」「過去改変」のような発想を一旦忘れる必要があると思います。

そうしないと、「あそこがおかしい、ここがおかしい」と頭を悩ませることになりそうです。

決定論的世界観「すべてが最初から決まっている」

作中に「未来の記憶」が登場するということは、それは決定論的世界と言えます。

なぜなら、もし未来が変わってしまうとそれは「未来の記憶」とは言えないからです。同時にそれは過去も変わらないことを意味します。

また、決定論を思わせるセリフも複数登場します。

  • 「ミカサやアルミン~(88話・クルーガー)」
  • 「そういう未来だと決まっている(121話・グリシャ)」
  • 「すべてが最初から決まっていたとしても(130話・エレン)」
  • 「未来は変わらないらしい(131話・エレン)」
  • 「始祖の力がもたらす影響には未来も過去も無い…同時に存在する」(最終話・エレン)

作品が完結するまでは別な解釈が出来る絶妙な言い回しなのが見事です。

グリシャが「未来の記憶(エレン)」に影響を受けて行動した「レイス家惨殺」を矛盾なく成立させるには 変更不可能な状態で過去と未来が同時に存在 しなければなりません。

このような描写は、過去に原因があって未来に結果があるとする因果律では説明不可能です。

また、タイムスリップ的なものがあったときに「何かを変える(いじる・調整する)」とか「過去改変(過去干渉)」を想定するのも理解を妨げる気がします。

とにかく「すべてが最初から決まっていること」が何よりも強いルールです。これさえ押さえておけば、あまり混乱はしないと思います。

折り合いを付ける方法は?

「過去改変がある」という見方をすると、整合性を維持しつつ物語を理解する際にかなり高度な想像力を求められることになるでしょう。

まず、パラレルワールドみたいなものだとすると、記憶改竄の意味がなくなります。

なぜなら、その手の世界では何か問題が起きたら別な世界線だの別ルートだのへ行って過去を変えてしまえば良いという話になるからです。わざわざ記憶を改竄する意味がないのです。進撃の巨人はどうでしょうか?

また、一本道の世界だとしても、その中で過去改変を繰り返すのなら、それは実質「やり直しループもの」と意味合いは同じになってしまいます。

「悔いなき選択」とはなんだったのか。そこに読者はどう折り合いをつければ良いのでしょうか?

あるいは、エレンが過去を変えた後に、2000年分の一本道の歴史を全て上書き保存しているという考え方もありかもしれません(これも結局ループですが)。

その場合、エレンは変更以前の歴史を知っている必要があるのですが、作中の描写を見る限りエレンは何度も驚いていますのでループ前の記憶を何も覚えていないようです。

では、上書き保存の度にエレンの記憶も消えているというのであればどうでしょうか?観測者(エレン)からすれば、それは結局「最初から決まっている」のと同じ事になってしまいます。

グリシャのレイス家惨殺

121話でエレンがグリシャをけしかけてフリーダを殺して始祖を奪わせた描写があります。

  1. グリシャがフリーダから始祖を奪う
  2. グリシャからエレンへ始祖継承
  3. エレンとジークでグリシャの記憶の旅へ
  4. エレンがグリシャをけしかける
  5. グリシャがフリーダから始祖を奪う

因果関係で考えると1~5がループしてしまうため、タイムパラドックスが云々と指摘されたりします。

このように因果が一周回ってひっくり返るような形はSF作品で時折見られるパターンです。

これを素直に受け入れるには、過去(原因)→未来(結果)という因果律のみに頼った世界の認識の仕方を改める必要があります。

あまり深く考えなくても、「未来(原因)→過去(結果)の因果も成立する」と思っておけばそれで済むでしょう。もっと言えば、因果律など一旦忘れて「世界の時間を同時的に認識する」みたいな考えで見ると良いと思います。

過去と未来が同時に存在しているのであれば、順番など関係ありません。全ての出来事はもう既にそこにあるのですから、因果の矛盾など初めから考える必要がないのです。

未来(グリシャに影響を与えるエレン)と過去(エレンに影響を受けるグリシャ)が同時に存在しなければならないので、自ずと変更は不可能ということになります。

当然、もしエレンがグリシャをけしかけなかったら…という「if世界」もあり得ません。

グリシャの件を取り上げてタイムパラドックス云々と指摘するということは、「進撃の巨人の設定の不備は巨人が出てくるところだ」と言ってるのと同じようなものなのです。

ダイナ巨人誘導

ダイナ巨人誘導の件も同じことです。

  • 854年。「地鳴らし」
  • 845年。ダイナ巨人誘導

グリシャの件の繰り返しになりますが、未来に原因、過去に結果を置く捉え方でも特に問題は無いと思います。過去と未来は同時に存在するのですから、原因と結果の関係に拘る必要はありません。

過去も未来も既に同時に存在するので、ダイナ巨人がベルトルトを食ってしまう、あるいはカルラが食べらなれない、といった「if世界」はあり得ません。

過去改変ではなく、過去が明らかになっただけ

過去が変わるはずがない

©諫山創 講談社 進撃の巨人 30巻121話「未来の記憶」

グリシャの件もダイナ巨人の件も、トリック的な要素を含むものの、言ってしまえば「実はこうでした」という形で過去が明らかになっているだけです。

作中全話通してビフォー・アフターが描かれている場面は1つもありません。

96話より前に、ダイナ巨人がベルトルトをスルーして壁の外から中へ侵入するまでの描写はありませんでした。

同じく121話より前、グリシャのレイス家惨殺はエレンが関与する部分を飛ばして描かれていました。

にも関わらず、あたかも「過去を変えたように感じさせている」ところが面白いのだと思います。どちらも違和感なく描いて巧みに真相を隠していました。

そしてこの作品が決定論的世界であること踏まえて考えると、これらの場面は「過去改変ではない」ということになります。「エレンの関与も含め予め決まっていた出来事」が初めて明らかにされた、ただそれだけです。

もしグリシャやダイナの件の場面が示すものが「実はエレンが関わっていました」だけなのであれば、それはトリックの面白さを披露するだけのものになってしまい、ストーリー上の必然性を感じられなかったでしょう。

しかし、そこにはきちんと意味があり両立しています。

それぞれの場面で、読者とキャラクターの両方が知らなかった過去が明かされて、キャラクターが何かしらの気づきを得て成長し、前進するようになっているのが見事です。

グリシャの件は伏線回収の衝撃が凄すぎて他が霞みがちですが、知られざるグリシャの過去(エルディア復権派時代との違い)が明らかになったり、フリーダ(歴代レイス王)の思想とそれと対立するエレンの気持ち、ジークとグリシャのわだかまりの解消、エレンの生まれながらの気質など、見どころがたくさんあります。

そもそも記憶ツアーは、ジークがエレンの洗脳を解くために無理やり始めたものです。エレンは拒否していたし、さっさと終わらせて帰ろうとしていました。ところがエレンは途中で気が変わり、いつの間にか夢中で父親をけしかけることになります。全てがエレンの計画通りという訳ではないことは明らかでしょう。

ダイナ巨人の件は、エレンのこれまでの苦悩が感じられ、またアルミンが自分の命のために犠牲になったのはベルトルトとエルヴィンだけではなくカルラもそうだったと知ることは、エレン亡き後の世界で戦う覚悟を決めるために必要だったと思います。

紛らわしい表現

  • あぁ またこれか
  • おかげで今の道がある
  • あの時もし私が別の答えを選んでいたら結果は違っていたんじゃないかって
  • あの日あの時ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった

これらのセリフだけを読んで、その作品がパラレルワールドだと思うでしょうか。

そうではない作品のものだとして考えてみても全然おかしくありません。

「進撃の巨人」が一本道の一発勝負の物語だとしても成立するということです。

まとめ「エレンは全てに介入した訳ではない」と言える

エレンの意図的な介入は無かったと言えると思います。少なくともそう解釈することは十分に可能です。

最終話のエレンとアルミンの会話から「始祖の能力」がどんなものかを判断することは出来ません。

もし仮に「始祖の能力」がものすごいものだったとしても、エレンがそれを自由自在に使えるとは限らないし、おそらく使えないだろうと思わせる描写がいくつかあります。

結局、ふわっとしてわからないことが多いままです。

であれば尚更、エレンの意図的な介入など無かったと思っても良いのではないでしょうか。

エレンは誰かの命を天秤に掛けていた訳でもないし、都合の悪い場面を無理やり修正していた訳でもないのです。

運命を受け入れるかどうか

どう足掻いても変えられない結末に向けて進撃していたエレンたちをどう捉えれば良いのでしょうか?

要は、運命を受け入れてその上でより良く生きる、ということなのだと思います。

ましてや、エレンはまだしも他の登場人物は「未来の記憶」を見ていなかった訳ですから、一つひとつの選択は全然軽くないでしょう。

エレンは結末と一部の途中経過を知っているだけであり、詳細や途中で誰がどうなるかなんて知りませんでした。茶番なんてことはないと思います。

解釈の幅、想像の余地

エレン自作自演説が間違っているとは思いません。

エレンが介入出来るのか出来ないのか結局謎のままです。「あってもなくても同じ」なのであれば、あったことにしても良いでしょう。

あれもエレン?もしかしてこれもエレン?と勘ぐりながら読み返すのも面白いのではないでしょうか。

虚無もまた乙という解釈も可能でしょう。

エレンと始祖ユミルという2人の神(欠点も多い不完全な神)が、天界から人類を観察しながら様々なことを学び、成長した物語と捉えることもできます。

実際、始祖ユミルが未練を解消した過程はそんなところがあるのではないでしょうか。

英語版を踏まえた解釈

繰り返しになる部分もありますが、英語版を踏まえた解釈です。

Google翻訳だと以下のようになります。

Armin…

My Head’s… gotten all messed up…

The Founder’s power has made it so that there’s no past or future… it all exists at once.

so… I had to do it…

that day… that time…

it wasn’t bertolt’s… …time to die yet…

…the one …who let him go… …and made… …her go that way was…

アルミン…。

私の頭は…すべてめちゃくちゃになっています…。

創設者(始祖)の力は、過去も未来もないようにそれを作りました…。それはすべて一度に存在します。

だから…私はそれをしなければならなかった…。

あの日… あの時…

まだベルトルトが死ぬ時ではなかった…

彼を手放し、彼女をそのように行かせたのは…

始祖の巨人の力のよって起きた出来事は、過去も未来もなく全てが同時に(一発で)決定され、存在している。

だから自分が始祖を掌握したとしても、その通りに実行するしかなかった。

ベルトルトがあそこで生き延びるのも、ダイナ巨人がエレンの家に向かうのも、すべて最初から決まっていたこと。

最終話でエレンとアルミンが「道」で会話している時点で始祖を掌握しているの誰なのかといえばエレンである。

始祖がどのように他の巨人に影響を与えているのかエレンには感覚的にわかる(多分)。

だからその通りにやるしかなかったとしても結局全部オレのせい、オレが望んだことだ。

………

という感じで、エレンはアルミンにあのように話したのではないでしょうか。

変換作業詳細

まず問題の「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」の部分ですが、結構雰囲気が変わります。

「もたらす」の bring, afford, beget とか、 「影響」の influence, effect, impact が使われていません。 has made です。

「もたらす影響」が「作る(人や物を~にする、させる)」になると、かなり印象が変わるのですが、普通に考えて翻訳者は「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い」ってどういう意味ですか?って聞くはずです。

それで返ってきた作者や編集部の答えは原文よりもシンプルでわかりやすいものであろうと想像できます。そして最終的にOKが出ているということは、has made でも原文の意味に沿うレベルなのだと思います。100%でないにしろ、読解の手がかりとしてそれなりに信頼しても良いのではないでしょうか。

「それ」が何回も出てきてうっとうしいですが、要は「始祖の力の行使によって起きる出来事」という感じだと思われます。

「始祖の力の行使によって起きる出来事」がたくさんあって、それは過去も未来も関係なく同時に存在している。そう解釈すると「始祖の力がもたらす影響」という言葉がちょっと馴染んでくる気がします。

始祖の力というのは進撃の作中の世界が出来た後に生まれたものなので、過去も未来もないというのは「道の世界では過去も未来も無い」と言っているのだと考えられます。

これは「道の世界には時間の概念が無い(無限)」というような、多くの人が持っている認識とズレは無いと言えるでしょう。

また、「仕方が無かったんだよ」は I couldn’t help it. とか I had no choice. ではなく、 I had to do it. となっているため、少し曖昧さが解消されたように感じます。エレンはその通りに実行するしか無かった、というニュアンスでしょう。「進み続ける」というフレーズに合っているんじゃないでしょうか。

エレンは介入していたと言えるのか?

この訳だと、たとえエレンがダイナ巨人の行動に関与出来たとしても、「その通りにするしかなかった」ということになり、「意図してやった」みたいな印象はだいぶ弱まります。

エレンがアルミンとの会話で濁していたベルトルト云々の部分は、どうあがいても「始祖を掌握しているのがオレである以上、実質あれはオレがやったみたいなものだ」ぐらいの解釈が良いところです。

無垢の巨人にしろ、人間(ユミルの民)にしろ、彼らの行動にエレンが関与していたとしても、それは我々が思うような「エレンの意志による操作」とはかなりかけ離れたイメージになります。

こうして考えてみると、エレンにしてみればもはや過去や未来を変えるとか以前の問題であり、介入もクソも無いのではないでしょうか。

ちなみに「始祖」が「始祖ユミル」を示しているとは限らないと思います。「始祖の巨人(巨人の力そのもの)」という可能性もあるでしょう。

「始祖の力がもたらす影響~」が係っているのはどこ?

このセリフ「始祖の力がもたらす影響~」は一体どこに係っているのでしょうか?

日本ではこのセリフは、エレンがダイナ巨人を誘導したことの「仕組みの説明」として捉えられていることが多いように感じます。

しかし、英語圏のサイトなどを見てみると、このセリフは同じページ(9ページ目)の1番上のコマ「進み続けた」ことの理由を説明(表現)しているという解釈もあります。

最後に結論が来る日本語と最初に結論が来る英語の違いが、そのままマンガの読み方にも影響を与えているのかもしれません。

どっちが正しいのかはわかりませんが、進撃の巨人は結構英語っぽいので英語的解釈は無視できないと思います。

エレンが進み続けた理由?

エレンが進み続けた理由とは?

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻最終話「あの丘の木に向かって」

「進み続けた」ことの理由の説明が「始祖の力がもたらす影響~」なのであれば、ここに「始祖の巨人の能力は過去未来関係なく全巨人をコントロールできる」という意味の文章が来るのは不自然です。

「オレは巨人をコントロール出来るから進み続けた」というのはおかしいですよね。

この場合、始祖の力がもたらす影響によって起きた出来事には過去も未来もなくて予め同時に存在するから、つまり「オレは過去も未来も変えられないから進み続けるしかなかった」と解釈するほうが自然だと思います。

そう解釈すれば、ダイナ巨人がベルトルトをスルーしたことも、その後カルラの元へ向かったのも、我々が知っている過去となんら変わりませんので、辻褄も合います。

残された大きな疑問は2つです。

  • エレンは自分の意志でダイナ巨人を誘導したのか?
  • なぜエレンはアルミンにダイナ巨人のことを話したのか?

エレンは自分の意志でダイナ巨人を誘導したのか?

英文から解釈すると、ダイナ巨人誘導はエレンの意志によるもの、という説明はかなり苦しくなります。むしろ、見えない力に操られてやったと思えるくらいです。

その一方で、エレンがダイナ巨人視点の記憶を持っていたり(130話の記憶の断片)、最終話でエレンはアルミンとの会話の中で「オレがやった」と思わせるような言い方をしています。

作中に散らばる様々な描写をかき集めて検討しても、わかるのは「エレンは自分がやったと思っている」というところまでです。客観的に「間違いなくエレンの意志だ」と断言することは出来ないと思います。

果たしてエレンは自分の意志でやったのか、やっていないのか(勘違い、思い込み、敢えてそう思うようにしている)、どちらの可能性もあり得るので一旦保留にしておくしかなさそうです。

「実はこうでした」の部分が曖昧ということは、それ以外の部分でこの描写が全体のストーリーの中で持つ意味がきちんとあるのだろうと考えられます。

種明かしそれ自体ではなく、エレンがアルミンに話した、ということが重要なのではないでしょうか?

なぜエレンはアルミンにダイナ巨人のことを話したのか?

何のためかと言えば、アルミンが、エレンの死後、最終回以降の世界で戦っていく覚悟を決めるためだと考えられます。最終話以前のアルミンではダメなのです。変わる必要があります。

自分の命のために犠牲になったのはエルヴィンとベルトルトだけじゃなくてカルラもであり、そしてカルラの死はエレンが関与していたものだったということをアルミンは知っておく必要があったのです。

カルラの死はアクシデントじゃない。アルミンが生き残るために必要なベルトルトを生かすために、エレンがカルラを死なせた。エレンは仲間やパラディ島を救うために(本当はそれだけじゃないけど…)そこまでしていたのか…。そこまでしないとパラディ島は世界と「話し合い」は出来ないのか…。

そういう背景を知ることがアルミンにとって重要なのではないでしょうか。

カルラの死の真相が明らかになる意味が、エレンがダイナ巨人を誘導していたと判明することによって過去への介入云々で読者を疑心暗鬼にさせることだけでなく、ストーリー上絶対に必要なものなのだとすれば?

それはもう「アルミンがカルラの死の真相を知る」以外に無いでしょう。

これはアルミンの「ありがとう」にも繋がるであろう重要な局面だと思います。

アルミンに変化を起こすことが最重要課題なのであれば、エレンの発言の真偽は優先順位が下がります。下がるというか、解釈に幅が出る。ウソだったとしても許容できることになります。

エレンはウソをついている?

エレンが相手の質問に対して返事をしなかったり(つまりノーという返事)、返事だけは同意しているもののその後の行動を見ると実は同意していなかったとわかる場面は以前から複数ありました。

ということは最終話のこの場面も例外ではなく、エレンは勘の良いアルミンがそう察するように、あえてエレンがダイナ巨人を誘導したと受け取れるように言葉を濁した…という可能性があります。

なぜエレンがそうする必要があるのかといえば、上でも書いたように「アルミンが、カルラの死はエレンのダイナ巨人誘導によって起きた、と思うこと」が重要だからです。

もしエレンがサイコパス的な性質を持っている人物なのであれば、こうしたことを「本心」で実行できてしまいます。そこがややこしくもあり面白くもあるところです。

あるいは、エレンがサイコパスでなかったとしても、人間は誰しも自分の深層心理に気づかずに表面的な理由をつけて勝手に納得し行動してしまっていることも少なくない訳ですから、そういう表現なのだと解釈すれば十分成立する話だと思います。

エレンは自分の意志でダイナ巨人を誘導したのか?をしつこく検証。

ダイナ巨人の誘導がエレンの意志によるものなのか、果たして本当にエレンがやったのかどうかは議論の余地があるでしょう。

エレンはダイナ巨人視点の記憶を確かに見たと思われる描写(130話の記憶の断片、最終話)や、自分がやったと思っているようなセリフ(最終話)はあります。

しかし、本当にそれがエレンの意志(意思)によるものなのかどうかはわかりません。

120話に登場する記憶の断片にはグリシャやフリーダ、クルーガーの物も混ざっていました。あれをエレンが見た時、どういう感覚だったのかは不明です。

であれば、ダイナ巨人視点の記憶の意味も様々な解釈が可能でしょう。

あくまでもダイナ巨人の記憶として見たのか、自分が操作するダイナ巨人の記憶として見たのか、どうとでも受け取れる訳です。

ということは、エレンはダイナ巨人の誘導を自分がやったと勘違いしている、あるいは、エレンがそれを自分が望んだこととして納得したいからそうしている(そう思わないとやってられない)、と解釈することも間違いとは言えません。

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い」という難解なセリフをエレンに言わせたのはなぜなのでしょうか?

「向かわせたのは…」と言っているエレンのコマは目が隠れています。なぜそのような曖昧な表現をしたのでしょうか?

全部エレンの意志でやったことなのであれば、始祖は過去未来全て巨人を操れるのであれば、そうだとわかるようにもっとはっきりとしたセリフや描写が登場するはずです。

なぜそうなっていなのでしょうか?

ただ単に読者を疑心暗鬼にさせるためだとは思えません。

突き詰めて考えれば、あらゆる出来事の原因はわからない、それが本人の意志かどうかなんてわからない、ということなのではないでしょうか。結論を出さないのが結論みたいな話だと思います。

科学的な意味合いで自由意志が存在するのかどうかという議論もさることながら、人間にとって重要なのは最終的に自分がそれをどう受け止めるかでしょう。

「エレン」の意志なのか、「始祖ユミル」の意志なのか、あるいは「始祖」の見えない力によるものなのか、わかりません。わからないというか、描かれていません。

藪の中です。

その上で、各キャラクターはどんな行動を取ったのか?

121話のジークはエレンが意図してグリシャをけしかけたと思って問い掛けますが、エレンは返事をしませんでした。そしてジークはエレンの返事を聞いていないのに勝手に想像してベラベラしゃべり、行動を始めました。

最終話でアルミンはエレンが「向かわせたのは…」と言った段階でそれが何を意味するかを察して驚愕の表情を浮かべ、「皆まで言うな」とばかりにエレンに手を差し伸べました。

非常に不気味で面白い描写だと思います。

巡り巡って結局始祖ユミルがダイナを操っていたのでは?

ダイナ巨人を操ったのは始祖ユミル、というのも十分にあり得ると思います。

そうであれば、なぜエレンがあのタイミングで過去に介入できたのか?始祖のチート能力か?などと考える必要はなくなります。

130話に登場するダイナ巨人視点の記憶は、特に例外的な現象ではありません。120話にはフリーダ視点やクルーガー視点の記憶が登場しているので、始祖ユミル経由のダイナ巨人の記憶だとしても別に構わないでしょう。

さらに「2000年後の君へ」というのが始祖ユミルからエレンへのメッセージであるという話ともうまくこじつけられます。非常に残酷なメッセージではありますが。

カルラが食われたのは2話だろうというツッコミもあるかもしれませんが、ベルトルトが壁を破壊することとイベントとしてはセットでしょうし、アニメでは第1話にまとめられていますので許容範囲ではないでしょうか。

また、ダイナ巨人誘導の犯人が始祖ユミルなのであれば、1つ重ねられるエピソードが生まれます。

王政編でヒストリアはエレンを救って父ロッドを自らの手で殺しました。ヒストリアからしてみれば、エレンやグリシャは姉フリーダを殺した張本人であり、かつ結果的に父ロッドの死の原因にもなる人物です。

それでもヒストリアはエレンの味方になりました。物語の流れ上自然に思えますが、なかなか簡単な決断ではないでしょう。これはエレンが始祖ユミルに母を殺されたにも関わらず、122話で彼女を承認し、救ったことと重なります。

「エレンは母の仇である始祖ユミルに寄り添った」のほうが、「エレンが自分の手で母を殺してそれでも進み続けた」よりも、エピソードとして突き刺さりっぷりが上のように感じます。

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