「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とは?始祖の巨人の力の謎

始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在するの図

最終話でエレンがアルミンに語った「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する だから… 仕方が無かったんだよ…」と周辺の描写から始祖の巨人の力とはどういうものなのか考察します。

結論としては、始祖の力が発動されると 未来が過去を決定してしまう ということです。「できる」ではなく「してしまう」です。

そして、そのせいで因果が循環する一連の出来事の塊(互いに原因でも結果でもある過去と未来が同時に存在)が発生します。それをねじ込んでしまうのが始祖の力ということなのでしょう。

細かく言えば、どこかのタイミングで始祖の力が発動されると、 そのために必須となる過去の出来事――“始祖の力なくしては起き得ない出来事”――を引き起こしてしまう ということになります。

辿っていけば最終的に始祖の力が存在することそれ自体が原因で「すべてが最初から決まっている」ということになってしまう、ある種の呪いです。「未来の記憶」もこのせいで生まれたと言えます。

また「過去も未来も無い…同時に存在する」とは、影響を与える対象を過去未来関係なくピンポイントで好きなように選べると説明するために言っているのではありません。

「始祖の力がもたらす影響」が「過去も未来も無く同時に存在する」のだから、当然その結果起きることは過去にも未来にもあることになり、「ダイナ巨人がベルトルトをスルーした」のはまさにこの影響の1つだと考えられます。温暖化や台風がもたらす影響※0みたいな話です。

これを踏まえて845年にダイナ巨人がベルトルトをスルーするという通常あり得ない行動をした原因を何か1つに求めるならば、850年にエレンがダイナ巨人と接触して始祖の力を使ったから ということになるでしょう。しかし実際はもっと複雑に様々な出来事が絡み合っていると考えられます。

始祖エレンが意図的に過去の様々な場面に介入しているのでは※1という解釈もあるようですが、むしろ逆でエレンにとってそれほど都合の良いものでは無いでしょう。

目次

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とはどういうことなのか?

簡単な図にすると以下のようになります。

ジークが始祖の力を使った記憶ツアーにて

記憶ツアーにまつわる始祖の力がもたらす影響が過去も未来も無く同時に存在する例

845年のグリシャは「854年のエレン視点のグリシャの記憶」を見ており、その記憶に影響を受けて行動します。854年のエレンは「854年のエレン視点のグリシャの記憶を見ている845年のグリシャの記憶」を見ています。

このような状況が出来上がってしまった原因は、854年のジークが始祖の力を使って記憶ツアーを始めたからです。

グリシャは「エレンが見ている記憶」の通りに行動することになるし、エレンも自分の視野が「グリシャが見ているエレンの記憶」と同じ映像になるように行動することになります。

記憶ツアーが始まる段階で、エレンとグリシャが見る記憶はどちらも既に存在していなければこの現象は成立しません。同時進行で記憶が生まれていくのではなく、鶏に対して卵が、卵に対して鶏が両方先行している必要があるということです。

記憶ツアーとジークの復活。始祖の力がもたらす影響が過去も未来も無く同時に存在する例

ジークが記憶ツアーを敢行するためには、始祖をその身に宿すエレンと接触して座標に到達しなければなりません。その前にジークは一度死んだ(瀕死?)にも拘わらず、始祖ユミルの手によって復活するという不思議な出来事が起きました(29巻115話)。ジークを腹に入れた無垢の巨人(ピクッの巨人28巻113話)はどうやってジークの元に辿り着いたのでしょうか?ジークが呼び寄せた描写はありません。

無垢の巨人を誘導しジークを道に連れ込んで復活させたのは始祖ユミルだと思われますが、その原因が何かと言えば「ジークが始祖の力を使って記憶ツアーをすること」になるでしょう。

この一連の出来事は、始祖の力を使ったらどういうことが起きるのか、「始祖の力がもたらす影響とは何か」を示していると考えられます。

そもそもグリシャが始祖を奪還してエレンに継承しなければ、エレンとジークが接触して座標で記憶ツアーをすることもないし、さらにその記憶ツアーの中でエレンが「父さんが始めた物語だろ」と言う状況も生まれません。

始祖の力がもたらす影響によって因果が循環している

因果が循環してしまっています。この現象を生み出しているのが始祖の力ということになるでしょう。

物語全体に漂う「何かに導かれている感じ」の正体がまさに巨人の力(始祖の力)であると考えれば、これも自然なことであるように感じます。

そしてこれと同じようなことが、エレンとダイナ巨人が接触したときにも起きています。

エレンがダイナ巨人と接触して座標発動

ダイナ巨人にまつわる始祖の力がもたらす影響が過去も未来も無く同時に存在する例

座標発動は、ただ単にエレンがその場で無垢の巨人を操ってダイナ巨人を殺してライナーとベルトルトを追い払っただけではありませんでした。

エレンは知らない間に過去にも影響を与えてしまっていたのです。

845年にダイナ巨人がベルトルトをスルーしなければ、850年のエレンはダイナ巨人と接触して始祖の力を使うことは出来ませんし、ライナーとベルトルトもその場に居合わせることはありませんでした。

と同時に、850年にエレンが座標を発動しなければ無垢の巨人であるダイナ巨人がベルトルトを食べずにスルーすることはなかった、ということになります。

なぜこれが同時に存在すると言えるのかというと、大きな理由が3つあります。

  1. 845年のダイナ巨人を操ることが出来る者はその場にいない(原因は別なところにある)
  2. 原因が850年の座標発動ならば、エレンが最終話で語った「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とダイナ巨人がカルラの元へ向かったのは自分が原因だと思っていることと話が合う
  3. 始祖の力がもたらす影響に過去も未来も無いこと、因果の循環があることは最終話以前に示されている(記憶ツアーなど)

よってダイナ巨人がベルトルトをスルーしてカルラを食べたのは850年にエレンが始祖の力を発動させたから、と考えることが出来ます。

エレンとジークの共通点

エレンの場合は、ダイナ巨人との接触によって始祖の力を使うことが出来ましたが、実は過去にも影響を与えておりダイナはエレンの始祖の力発動のパートナーとして相応しい状態になって目の前にやって来た(ベルトルトをスルーしてカルラを食べた)ということになりました。

同様にジークの場合は、エレンとの接触によって始祖の力を使うことが出来ましたが、実は過去にも影響を与えておりエレンはジークの始祖の力発動のパートナーとして相応しい状態になって目の前にやって来た(記憶ツアーを通してエレンが始祖を継承する過去が決定した)ということになりました。

また2人の人間が関わりそれぞれ目的を果たしたというところも共通しています。

エレンはダイナ巨人を殺しライナーやベルトルトを追い払い、ダイナはグリシャを探し出すという目的をそれぞれ果たしました。またダイナはエルディア人が自由と尊厳を取り戻すことを願っている人物です。

ジークは記憶を通じてグリシャの過去を見て、エレンは始祖奪還を自らの意思で実現させたものとし、その後地鳴らし発動という目的をそれぞれ果たしました。

エレンとアルミンの会話を読む

始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻最終話「あの丘の木に向かって」

 

アルミン… オレは…頭がめちゃくちゃになっちまった

始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する

だから… 仕方無かったんだよ…

「始祖の力がもたらす〜」の部分は「仕方が無い」と言えるだけの理由がある、つまり原理・法則について語っていると考えられます。

「水は高いところから低いところへ流れる」のような、避けようがない自然の摂理と同じです。

また、その原理・法則は、頭をめちゃくちゃにするようなものであることも推測できます。

例えばこれを「始祖の能力は過去も未来も関係なく巨人を操ることが出来るというものだ」というような「能力・出来ることの説明」にすると意味が通りません。なぜなら全然仕方無くないからです。

「出来るから仕方が無い」というのは、それ相応の文脈が整っていない限りはセリフとして成立しないでしょう。これは多少言葉を変えても意味不明であることに変わりありません。

頭がめちゃくちゃというのは、仲間を救うために力を使ったことが母の死に繋がるというような、あちらを立てればこちらが立たずな状況を招く可能性がある性質に対して感想、また、130話のモノローグ「どこからが始まりだろう いやどこでもいい すべてが最初から決まっていたとしても すべてはオレが望んだこと」にあったような葛藤、終わりのない問答を表現していると考えられます。

ベルトルトを見逃してカルラの元へ向かわせた理由?

  • 母カルラの死によって少年エレン(10歳)に巨人に対して強烈な憎しみを抱かせるため
  • アルミンにベルトルトを食わせて超大型巨人を継承させるため

この2つのためにエレンは始祖の力でダイナ巨人を操ったのだと解釈できるかもしれませんが、この考え方は順番を間違えています。

なぜなら、結果論で当てはまりそうな部分をこじつけているだけで理由になっていないからです。

始祖の力で過去をコントロール出来るのであれば、カルラの死とかアルミンの生存(超大型継承)を実現させる方法は他にいくらでも思いつくでしょう。「こうするしかなかった」と言うのであれば、そもそも1〜139話に起きた全ての出来事が当てはまってしまいます。

これではわざわざダイナ巨人がベルトルトを見逃す場面を使って説明する意味がありません。たとえダイナ巨人を操ったのがエレンではなく始祖ユミルだったとしても同じです(この話を聞いたアルミンが驚いているということは、原因がエレンなのはほぼ間違いないでしょう)。

ここで問題になっているのは、あくまでもダイナ巨人の行動を偶然ということにしておくとシナリオとしてイマイチだから必然たらしめる何かが必要だという点であって、それをもたらした原因が何でもありの能力では意味がなくなってしまいます。自由に使える能力であるならば、そこには行使する人間の意思が絡むからです。

個人の意思が絡むということは、そこには理由があるということになり、その理由をエレンの都合(アルミンの超大型継承やカルラの死)に求めると振り出しに戻ってしまいます。

だからエレンが言っているのは「始祖の力を使ったからこうなってしまった」ということなのです。〇〇するために始祖の力を使った、ではありません。

過去も未来も無く同時に存在するのはあくまでも「始祖の力がもたらす影響」

始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在するの図

始祖の力を使うと、勝手に未来にも過去にも影響を与えてしまう、ということです。

能力がどうのというのではなく、始祖の力のいわゆる「仕様」のようなものでしょう。

どこかのタイミングで始祖の巨人の力が発動されたら、その力を使ってやりたいことを実現するために必須とされ、かつ始祖の力が必要とされる過去や未来の出来事が同時に確定する、ということです。

なぜ確定すると言えるのでしょうか?

まず、記憶ツアーを始めとする作中の描写から過去は変えられないこと、またエレンが記憶を通じて見た未来は変わらないことがわかっています。過去だろうが未来だろうが一旦記憶を見てしまったらそれは確定している出来事になり、絶対に変えられません。

その上でわざわざエレンが「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」と言っているのだから、「エレンが記憶を通じて見た過去や未来の出来事」は始祖の力がもたらす影響によって初めて確定されるということになるのです。「確定される前」は描かれていない以上、そのようなものは存在しないとしか言いようがありません。

これは進撃の巨人という作品が過去と未来が同時に存在し変えられない決定論的な世界観であるということを物語っています。影響を与える対象が同時に存在しなければ、その影響も同時に存在できません。

ベルトルトスルーを引き起こした大元の出来事は?

ベルトルトスルーは845年の出来事です。当時10歳のエレンはまだ巨人の力を継承していないので始祖の力を使って巨人を操ったり出来ません。

ということは、ベルトルトスルーは「その場に居て始祖の力を使って直接操ったから起きたこと」とか「能力を使って過去に影響を与えた」ではなく、「始祖の力がもたらす影響」として起きた副作用的な現象であると言えます。

つまり、ベルトルトスルーよりも未来のある時点でエレンが「始祖の力」を発動させたから、その影響(始祖の力がもたらす影響)で過去にベルトルトスルーが引き起こされていた、という話です。

エレンは「ダイナ巨人視点のベルトルト」の記憶を見ています(130話の回想)。なぜそのような記憶を見るのかといえば850年にダイナ巨人と接触したからでしょう。それ以外に記憶を見た理由を明確に示す描写はありません。そして、この記憶を見なければ、エレンはベルトルトスルーが自分のせいで起きたことだとは思わないでしょう。

だから850年にエレンがダイナ巨人と接触して「始祖の力を使った」ことが原因で、845年のベルトルトスルーが確定したということになるのです。

エレンはどのようにして過去のダイナ巨人を操ったのか?

ペチン。エレンが座標の力を発動する瞬間

©諫山創 講談社 進撃の巨人 12巻50話「叫び」

「始祖の力(座標の力、叫びの力)」が原因となって、「始祖の力がもたらす影響」として「ダイナ巨人がベルトルトをスルーしてカルラの元へ向かうこと」と「無垢の巨人群がダイナ巨人やライナー達を襲うこと」という出来事が同時に存在しています。

どうして他のどれでもなく「50話の座標の力の発動」が「ベルトルトスルー」と結びついていると言えるのでしょうか?

なぜなら、850年のエレン奪還作戦のあのとき(49,50話)、無垢のダイナ巨人がエレンの目の前に現れなければ、エレンは始祖の力を使えなかったからです。

そしてベルトルトスルーの原因は自分だとエレンが感じるためには、その起点となり得るところにエレンが関わっていることが明確でなければなりません。

よってこの一連の出来事はセットになっていると言えるでしょう。

エレンが「座標の力(始祖の力)を使った」あの瞬間に、845年のあの日あの時ダイナ巨人がベルトルトを見逃してカルラの元へ向かうという出来事が絶対に起きることとして確定した、ということになります。

操ったという表現は正しくないでしょう。そもそもエレンは操ったとは言っていません。

もしこれを始祖ユミルがやっていたのであれば、わざわざ最終話にダイナ巨人のベルトルトスルーを使って説明する必要はないですし、アルミンが驚愕の表情を浮かべる意味もわからなくなります。また、もし始祖ユミルが自分の意志で自由自在に巨人やユミルの民をコントロール出来るのであれば、2000年も思い悩む必要はなかったという話になってしまうでしょう。原因がエレンだったということに意味があるのです。

では、いざ始祖の力を使えばそうなるとして、850年のあの日あの時そんなものがあるとは知らないエレンがなぜダイナ巨人と接触して始祖の力を使うに至ったのでしょうか?

ダイナ巨人がエレンの前に再び現れた理由

どんな姿になってもあなたを探し出すから

©諫山創 講談社 進撃の巨人 22巻87話「境界線」

 

どんな姿になっても…

あなたを探し出すから

「(グリシャが)どんな姿になってもあなたを探し出すから」という意味でした。

845年のシガンシナ区陥落のあの日、ダイナがグリシャを探し出すと誓ってから13年後のあの日、彼女は偶然にも機会を得て壁内に侵入することに成功し、グリシャの家に向かいましたが、本人を見つけることは出来ませんでした。

なぜなら偶然にもグリシャは診察のために外出し、その後レイス家の礼拝堂に向かっていたからです。残念ながら再び彷徨うことになりました。

そして850年のエレン奪還作戦のあの日、ダイナ巨人がエレンの目の前に再び現れたのは、彼女が5年間ずっとグリシャを探し続けていたからでしょう。

845年のあの日には見つからなかったグリシャを、850年のエレンの中にしっかりと感じていたはずです。

カルラの死を受け止めたエレン

いくらダイナ巨人が目の前にいたとしても、そこで待ち構えるのが「始祖の真価を発揮する秘密を知らないエレン」では、接触を試みるかどうかは運次第ということになってしまいます。

しかしそれでもエレンが始祖の力を使うに至った理由が何なのかといえば、それはエレンがカルラの死を受け止めてミカサを守ると決めたからでしょう。

カルラの助言

©諫山創 講談社 進撃の巨人 12巻50話「叫び」

50話冒頭の回想でカルラは「どんなに相手が悪くても憎くらしくてもね 突っかかりゃいいってもんじゃないだよ!」「たまには堪えて ミカサを守ってみせな」とエレンを叱ります。

そしてエレンはこの助言通り、ただやみくもに巨人化するのではなく、座標の力を使って巨人を操り、ミカサをはじめ仲間たちを救いました。

エレンはこの時からミカサを守るべき対象として認識するようになった、というようなことを作者がどこかのインタビューで言っていたと思いますが、まさにその通りこの一連の出来事はエレンの心境の変化がもたらしたものなのでしょう。

エレンとダイナ巨人が接触する前、エレンは何も出来ない自分を嘆いて泣き叫び、カルラのことを想った直後、何かに気づいた様子でガバッと起き上がります。そしてジャンを抱えて必死に巨人を追い払うアルミンと目が合い、ミカサの「マフラーを巻いてくれてありがとう」の下りが始まりました。

この下りを経て、エレンはカルラの死を受け止めて、ミカサ(やアルミン、仲間たち)を守るために進み続ける決心がついたのだと考えられます。エレンの中で本当にカルラが死んだというやつです。

だから急激に傷が治って始祖の力を使う態勢が整ったのでしょう。

そして「叫び」の力を使ったあの瞬間、845年のダイナ巨人がベルトルトをスルーしてカルラの元へ向かうこと、さらに5年後に15歳のエレンの元へ座標の力を使うために絶対にやってくることが確定しました。

エレンは過去を変えたのではなく、過去を受け入れた(受け止めた) のです。初めて過去が決まったと言うことも出来るでしょう。

このときエレンは無意識でよくわかっていないようでしたが、心の底で「カルラの死を受け止めてみんなを救いたい」と思っているから、目の前の巨人たちの動きも、過去のダイナ巨人の動きも、エレンが望む通りになったと考えられます。

それは苦しみから逃れたかった始祖ユミルが自分の願い通り「より強くより巨大な不死身の体を生み出したこと」と本質的に同じでしょう。

カルラの死が「仕方が無かった」理由

「仕方なかった」ってやつだ

©諫山創 講談社 進撃の巨人 25巻100話「宣戦布告」

50話当時のあの状況で、エレンがミカサやアルミン、調査兵団はじめあの場にいた兵士たちを救うには始祖の力を使うしかありませんでした。

始祖の力を使うということは「カルラを死」を確定させるということになります。

エレンは始祖の力を使ってカルラを殺したのではなく、始祖の力を使うためにカルラを殺したのです。結果は同じかもしれませんが、エレンにとっては大きな違いがあるのではないでしょうか。

これがエレンがアルミンに「仕方が無かったんだよ」と言った理由の1つです。

グリシャが言った「ミカサやアルミン みんなを救いたいなら お前はこの力を支配しなくてはならない」というのはここにもかかってきていると思います。

巨人の力は必然を生み出す呪いの力

ダイナ巨人との接触を思い出すエレン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 22巻89話「会議」

 

あの時は 一瞬だけ

すべてが繋がった 気がした

もしダイナ巨人がベルトルトを食ってしまうとエレンと無垢のダイナ巨人が接触して座標の力を発動できなくなります。

それと同じように、もしエレンがダイナ巨人と接触して座標の力を使わなければダイナ巨人はベルトルトをスルーしなかったということも言えます。

2つの出来事は互いに原因でもあり結果でもある、という特殊な関係になっており、絶対に両方が揃わなければなりません。

さらに、ベルトルトスルーから座標発動に至るまでに起こることには、その後の展開に繋がるものも含めてなくてはならない出来事が複数あります。

  • ハンネスがダイナ巨人にびびったおかげでエレンとミカサが助かるが、逆にびびった経験が仇となって無理してリベンジに挑戦してしまう。
  • カルラの死によってエレンの駆逐感情が増強される。座標発動にも関与。
  • 相手が母の仇なのでエレンもミカサも絶望的な状況にも拘わらず逃げずに戦おうとして、ハンネスの時間稼ぎもあって結果的に座標発動に成功。
  • エレンが不戦の契を破る方法を思いつくきっかけになるのは座標発動。
  • ベルトルトの生存がアルミンの超大型巨人継承に繋がる。
  • エレン、グリシャ、ダイナ、ジークを巡る因果。

一見偶然に思えるような出来事の連なりを必然たらしめる「何か」がそこにはあるように感じられます。

本来であれば目の前の人間を襲って食うはずの無垢のダイナ巨人が人間を食わず、本来であればエレンが巨人の集団を操ることなど不可能だったはずなのにそれが出来ました。

ということは、そこには「見えない神秘の力」がはたらいていたに違いない、と思ってしまいます。

その見えない力がまさに「始祖の力」であり、「始祖の力がもたらす影響」として起こる出来事が、「過去も未来も無く同時に存在している」ということなのではないでしょうか。

そして同時に存在する過去と未来はガッチリ固定され互いに縛り付けられる…つまり呪いです。

このように考えれば、「エレンが過去のダイナ巨人を操ることが出来た理由」は「時系列無視巨人操作能力」ではなく、それが「始祖の力がもたらす影響として起きた現象だから」と言えるのではないでしょうか。

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」を大きな範囲で考えると?

ここまでは「始祖の力がもたらす〜」をベルトルトスルーから座標発動までの狭い範囲でちまちま考えてきましたが、当然湧いてくる疑問があります。

ダイナ巨人がベルトルトをスルーするのが始祖の力の影響で必然の出来事になっているのであれば、それ以前の問題としてダイナが巨人にならなければいけないし、そうなるように仕向けたクルーガーの行動、もっと辿ればそもそもダイナが存在していなければならない…さらに…どこまで遡れば良いのでしょうか?

他にも始祖ユミルがジークを復活させたことや、ロッド・レイスの巨人がエレンを食わずにオルブド区に直行したこと、アッカーマン一族が生まれた経緯など、疑わしい現象はいくつかありますが、これら全てに対してピンポイントで直接の原因を特定するのは困難です。

「始祖の力がもたらす〜」は、本来はもっと大きな範囲で考える必要があるのではないでしょうか?

その範囲とは、始祖ユミルが巨人の力を手に入れてから解放されるまでの2000年間です。

結局のところ、「始祖の力がもたらす〜」が何を言っているのかというと、要するに「巨人の力によって呪われた運命・歴史(過去から未来への連なり)が確定してしまう」みたいな感じになるでしょう。

これを突き破って呪いを解くことがこの物語のゴールなのです。

エレンが進み続けた理由

エレンが進み続けた理由

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻最終話「あの丘の木に向かって」

エレンは仲間を巻き込んで傷つけて、無関係な人々を大量に虐殺することに葛藤し、それでも進み続けたのは「ミカサの選択がもたらす結果」に行き着くためだと話しています。

そして、その話の流れの中で「始祖の力がもたらす影響〜」が出てきました。

エレン、ミカサ、始祖ユミル関連で最終話でわかったのは以下のようなことです。

  • エレンは道で始祖ユミルに触れ、彼女の「愛や苦しみ」を知った
  • エレンは「ミカサの選択がもたらす結果」に行く着くために進み続けた
  • 「ミカサの選択がもたらす結果」とは始祖ユミルの解放&巨人の力の消滅である
  • 始祖ユミルを解放するに値する行動をミカサが示してくれる

なぜミカサ?始祖ユミルの気持ちは?みたいなところは様々な解釈があると思います。その詳細にはここでは触れません。

とりあえず、エレンは色々わからないことはあるけれど、自分がミカサの選択まで進み続ければゴールは出来ると知っている状態です。

エレンは巨人の力を消滅させたいと思っています。そのためには始祖ユミルを解放しなければなりませんし、そうしてあげたいという気持ちもあったでしょう。

そして始祖ユミルが解放されるには「ミカサの選択」が必要です。だからエレンは「ミカサの選択」に行き着くために進み続けなければなりません。

ということは、エレンがなすべきことをなす上で、ミカサの選択の中身とか始祖ユミルがミカサを選んだ理由の詳細までは別にわからなくてもかまわないのです。

なぜ「すべてが最初から決まっている」のか

「始祖の力がもたらす〜」は「巨人の力によって呪われた運命・歴史(過去から未来への連なり)が確定してしまう」ことを意味します。

結局、すべて最初から決まっていた、というやつです。

最初とはいつからでしょうか?

それは誰がどのように決めたのでしょうか?

始祖ユミルと謎の生物の接触
始祖ユミルと大地の悪魔との契約
始祖の力が開放される瞬間

©諫山創 講談社 進撃の巨人 30巻122話「二千年前の君から」

↑これが「始祖ユミルと大地の悪魔の契約」であり、

始祖の誕生の瞬間

©諫山創 講談社 進撃の巨人 30巻122話「二千年前の君から」

↑全ては同時なのだから、当然この2つも同時に生まれた、ということになります。

エレンと始祖ユミルの契約によって巨人が生まれて巨人が消えるなんて壮大なマッチポンプのように感じますが、2000年間のあれこれがなければ最初と最後も生まれなかったとも言えるでしょう。

「ダイナ巨人のベルトルトスルー〜座標発動」や「グリシャのお前が始めた物語〜レイス家惨殺始祖奪還」、「145代目カール・フリッツが築いた三重の壁〜地鳴らし」といった始祖の力なくしては起きない出来事が連なって2000年を作り上げています(クサヴァーが語っていた始祖の力でユミルの民の体質が変えられた一件はアッカーマン誕生の引き金になっていたかもしれません)。

逆に言えば、これらの1つ1つのサイクルは2000年の大きな物語に組み込まれている1章に過ぎず、その章の中で起きた出来事の原因を求め始めるといずれ必ず章の外に答えを求めることになり、最終的に原因はどこにもないという結論に達します。

要するに、主体は存在しないのです。

始祖の力がもたらす影響の構造

これらの出来事がすべて過去も未来もなく同時に存在しているということです。

ここまで来れば、やり直しとか、エレンが過去に遡って介入が云々という話が入る余地はないと感じるのではないでしょうか。

決めさせた人、決めた人

始祖ユミルの決断

©諫山創 講談社 進撃の巨人 30巻122話「二千年前の君から」

始祖ユミルが何を決めたのかと言えば「死を恐れて死のない道の世界へ逃れ、王への愛に執着して強くて大きな巨人の力を供給し続ける一方、自由になりたいと苦しんで2000年過ごした挙句、最終的にエレンに力を貸してミカサの選択によってに解放される」ということです。

エレンが座標にやってきたのが2000年目なので、すべてやり直しという話ではなくエレンとジークの接触までの歴史は何も変わりません。

始祖ユミルは地獄の2000年を認めて確定させつつ、解放されるためにエレンに力を貸すことを選択した、ということになるでしょう。作中に描いてあることそのままですが。

そして、決めたのは始祖ユミルであり、決めさせると決めたのはエレンである ということを踏まえて考えると、

  • ミカサの選択がもたらす結果に行き着くために進み続けたこと
  • エレンが「わからない」を連発すること
  • エレンがアルミンに話した「始祖の力がもたらす〜」「仕方が無かったんだよ」というセリフの意味合い

なんとなくこれらの意味が通ってくる感じがするのではないでしょうか。

エレンは始祖ユミルの心の奥底まではわからなかったと言っていますが、彼女に共感し、救ってあげたいと思ったことは確かでしょう。

その上で「お前が決めろ」と言って好きにさせたのは自分なのですから、たとえわからないことだらけでも、ミカサの選択が始祖ユミルの解放という結果、すなわち悲願である「巨人の駆逐」をもたらすと信じて、最後まで進み続けなければなりません。

しかし、そのために仲間を巻き込んで傷つけたり、罪のない人を虐殺することに対する葛藤も当然あるわけで、だから頭がめちゃくちゃになり、親友アルミンを前にして弱気になるのも無理もないでしょう。

「始祖の力によってすべてが最初から決まっている」とはいえ、それを始祖ユミルに決断させたのはエレン自身なので「すべてはオレが望んだこと」として受け止めて、覚悟を決めて進み続けた、ということです。

本当にエレンがダイナ巨人を操っていたと言えるのか

どこでもいい。と言いつつグリシャのせいにしているように見える

©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」

ベルトルトスルーから座標発動までの流れを見ると、たしかにベルトルトスルーはエレンが巻き起こしたことがきっかけのように見えるかもしれません。

しかしもっと大きな括りで考えると、850年にエレンがダイナ巨人と接触することは既定路線であり、また845年のダイナ巨人の動きに影響を与えたかも知れない「始祖の力の候補」は無数に増え、どれが原因なのかわからなくなります。

それぞれの悲劇の根本的な原因は何なのか、誰の責任なのか、そんなことは考えても意味がないような気がしてくるのではないでしょうか。

ましてやエレンが様々な記憶を見たのであれば尚更、始まりやら原因というものは「無い」という結論に至りそうなものです。

なぜエレンはダイナ巨人のベルトルトスルーを「自分がやった」と思っているのか

ダイナ巨人のベルトルト・スルー&カルラへ直行

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻最終話「あの丘の木に向かって」

 

あの日… あの時…

ベルトルトは まだ 死ぬべきじゃなかった…

…だから 見逃して…

…に 向かわせたのは

最終話の「始祖の力がもたらす〜」周辺のセリフを大きな文脈に沿って解釈すれば、845年にダイナ巨人がベルトルトをスルーした原因は「すべてが最初から決まっている」からであり、エレンにはどうしようもないことです。

にも拘わらず、なぜエレンはこの一連の出来事を自分がやったかのように言うのでしょうか?

ダイナ巨人視点の記憶

エレンが勲章授与式で見た未来の記憶

©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」

エレンが勲章授与式で見たであろう未来の記憶の中に「ダイナ巨人視点のベルトルト」があります(右の上から2番目。アルミンの下)。

エレンがこの記憶を見た原因は主に2つ考えられます。1つはダイナ巨人と接触したというきっかけの部分(50話)。もう1つは精神的な問題として、エレンにとって母カルラが巨人に食われたことはトラウマ的出来事であり、その原因をずっと気にしていたということです。ダイナ巨人の回想は何度も何度も何度もしつこく登場します(2, 3, 10, 15, 43, 46, 50, 68, 70, 100, 130, 最終139話)。

この記憶を見ない限り、エレンはベルトルトスルーが自分のせいだと思うこともなく、アルミンに話すこともなかったでしょう。

きっかけとしては座標発動のときにエレンがダイナ巨人と接触したことが原因で、彼女の記憶が流れ込んできたのだと考えられます。エレンが始祖ユミルの記憶を見た(感じた?)のと同じような原理でしょう。

あるいは、エレンとダイナはもっと密接な繋がりを持っていた可能性があります。

ジークの脊髄液で巨人化したファルコが、ジークの記憶を通じて過去の見たと証言していました(133話)。

これを踏まえると、ダイナとグリシャがクルーガーの脊髄液で巨人化したことが原因となり、エレンはダイナ巨人の記憶を見ることができた、と考えられなくもありません。

懲罰房で目覚めて「ここは?私は…なぜ」というエレン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 22巻87話「境界線」

エレンは懲罰房でダイナが巨人化したときの記憶を見て目覚めた時、「ここは?私は…なぜ」と言いますが、実はこれはグリシャの一人称の私ではなく、ダイナの「私」だったのかもしれません。

「ここは?私は…(巨人になっていたはずでは?)なぜ」と捉えれば、このセリフはグリシャよりも巨人化したダイナの心情を表しているとするほうが相応しい気がします。

130話「駆逐してやる」少年エレンのどアップ

©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」

この鬼の形相も、もしかしたらダイナ巨人視点かもしれません。

エレンがダイナ巨人の記憶を見た意味は?

エレンがダイナ巨人と接触して始祖の力を使うことが出来たのは、カルラの死を受け止めてミカサを守る、仲間を救う覚悟を決めたからです。だからダイナ巨人はそうなる方向に導かれた、という過去が確定した。そして、エレンにはそういう自覚があり、巨人の力の本質のようなものに気づいていたからこそ、「ダイナ巨人がベルトルトをスルーした記憶」を見たのではないでしょうか。

自分で自分の背中を押した奴の見る地獄というやつです。

エレンは遅くともマーレに渡る時点で既にこの辺りのことに薄々気づいていたと思われます(エレンの中で “確定” するのは、最終話でアルミンに話したとき)。

カルラが死なないとエレンが巨人に対して強い憎しみを持たないとか、ベルトルトがいないとアルミンが超大型巨人を継承できないというのも確かにその通りなのですが、ダイナ巨人の挙動がエレンの心と連動しているということはもっと強調されても良いと思います。

エレンが「巨人が憎い」と思うようになったのはアルミンに外の世界の本を見せてもらったことがきっかけですし、彼は巨人の力を継承する前からミカサを拐った山賊たちを滅多刺しにするような人間です。

だからベルトルトスルーの最大の注目ポイントの1つは、エレンの母の死の捉え方が変わった、つまり過去を受け止めて未来に進み続けるきっかけだった、というところなのではないでしょうか。

これを踏まえてエレンとライナーのレベリオでの面談を読み返すと面白いと思います。

自分で自分の背中を押した人たち

エレンの母が巨人に食われたのは自分のせいだと言うライナー

©諫山創 講談社 進撃の巨人 25巻100話「宣戦布告」

 

時代や環境のせいじゃなくて…

俺が悪いんだよ

お前の母親が巨人に食われたのは俺のせいだ!!

本当はライナーのせいじゃなくて時代や環境のせいでしょう。だけど自分のせいにして生きていくのがライナーなのです。

無意識に動くヒストリア

©諫山創 講談社 進撃の巨人 17巻68話「壁の王」

 

あれは…私の妄想?

私は…本当に…自分の意志で動いてるの?

もう…わからない ……けど

こうやって流されやすいのは間違いなく私…

ロッド・レイスにとどめを刺したときのヒストリアは自分の意志で動いていたのか、そうでないのか、答えは藪の中です。しかしヒストリアは、起きたことを、また、流される自分を受け入れて前を向きました。

エレンも彼らと同じなのだと思います。

すべてが最初から決まっていたとしてもすべてはオレが望んだこと

©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」

 

どこからが始まりだろう?

あそこか? いや… どこでもいい

すべてが最初から決まっていたとしても

すべてはオレが望んだこと

「始祖の力」を手にした自分が「ミカサの選択」に辿り着くために進み続けるということは、その過程で起きる残酷な出来事がたとえ始祖の力がもたらす影響だとしても「すべてオレが望んだこと」だと認めるしかないのでしょう。

もし本当にエレンの筋書き通りにことが運ばれているのなら「すべてが最初から決まっていたとしても すべてはオレが望んだこと」と思うはずがありません。最初から望んでいた訳ではないからこそ、後追いでそう思うことにしているのです。また、「最初から決まっていたとしても」という仮定は、過去や未来を変えることはできないとエレンが感じていることを示唆しています。

ありとあらゆる「結果」は、突き詰めれば「何が原因か」はわからないものです。強いて言うなら、「オレがこの世に生まれたから」ということになります。

自分に降り掛かってくる問題をどう受け止めて進み続けるかということが、まさに自由とは何か的なところにもかかってくるのだと思います。

エレンが両手を広げて「自由だ」と言った(131話)のはそういうことなのではないでしょうか。

最初から決まっていることに対して、オレがそう望んだと被せることで、益々決まった通りになってしまうという悪循環なのですが、その極地が地鳴らしということになります。

エレンが原因とわかる描写

もう少しエレンが原因(だと本人が思う理由)という部分を突っ込んで考えると、他にも作中や巻末のおまけにヒントらしきものはあります。

壁を前にして「何か起きねぇかな」とつぶやくエレン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 23巻93話「壁の中の少年」

18巻73話、23巻93話、33巻131話に登場する、壁を目の前にして空を見上げ「何か起きねぇかな…」とつぶやくエレン。

このようなエレンの深層心理と始祖の巨人の力が結びつき、「地鳴らし」を引き起こした、もっと言えば「地鳴らし」のための壁をも作り出したと言えるでしょう。

巨人の力は始祖ユミルの「こうだったらいいのにな」という願いが具現化されたものであり、そしてその力がもたらす影響が過去も未来も無く同時に存在するのであれば、最終的に始祖を掌握するエレンの思想も無関係ではないはずです。

エレンに自分は不自由だと気づかせてしまったアルミンは「地鳴らし」を起こした戦犯ということになります。紛れもなくエレンの共犯者なのです。

そして、調査兵団に入って壁の外に出たいという気持ちを封じ込めようとした母カルラはエレンにとって邪魔者であり、巨人を強烈に憎むきっかけとなった彼女の死は格好の口実になってしまいます。

ダイナ巨人がベルトルトをスルーしてカルラの元へ向かったのは自分のせいだとエレンが思うのも無理もありません。

まさに「オレは…望んでたんだ」(131話「地鳴らし」)が現実のものとなったのです。

また、「地鳴らし」が発動された122話が収録されている単行本30巻の巻末スクールカーストでは、何もない日常に耐えられず「オレがつくればいいんじゃないか人類滅亡の危機を」と思うエレンが登場します。

当然、スクールカーストはおまけなので直接本編に関わるものではありませんが、31巻以降の展開でエレンが心の中で考え望んだことがどのように現実に反映されていくか、それに直面したときどのような感想を抱いているかは注目に値すると思います。

なぜエレンはアルミンにダイナ巨人のことを話したのか?

ダイナ巨人に無視されて驚くベルトルトと重ねられているアルミン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 24巻96話「希望の扉」34巻最終話「あの丘の木に向かって」

カルラの死の真相が明らかになる意味が、ダイナ巨人の件によって過去への介入云々で読者を疑心暗鬼にさせることだけでなく、ストーリー上絶対に必要なものなのだとすれば?

エレンの自由とアルミンの覚悟ということになると考えられます。

すべてが最初から決まっていて自分は不自由なのではないかと疑っているエレンが「自分は自由である」と主張するためには、その証拠が第三者と共有されて初めて成立します。自分の中で思っているだけではダメで、それを理解できる人に示す必要があるということです。121話でエレンがあえてジークの目の前で「父さんが始めた物語だろ」をやって見せたのはそのためだったと思われます。

アルミンは記憶を通じてベルトルトがダイナ巨人に無視されたことを知っていたはずです。なぜならエレンは「あの日あの時」としか言っていないにもかかわらず、それがいつのどれを指しているかをアルミンは理解できた様子だからです。

この告白によってエレンの自由は完成します。だから最終話と繋がる131話の少年エレンは「自由だ」の後に「なぁアルミン」と語りかけるのです。

それに加えて、「アルミンがカルラの死の真相を知る」ということも重要なのではないでしょうか。

エレンの死後、アルミンが最終回以降の世界で戦っていく覚悟を決めるためだと考えられます。以前のような重要な局面で命を捨てようとするアルミンではダメなのです。

自分の命のために犠牲になったのはエルヴィンとベルトルトだけじゃなくてカルラもであり、そのカルラの死にエレンが関与していた、ということをアルミンは知っておく必要があったのです。

エレンは仲間やパラディ島を救うために(本当はそれだけじゃないけど…)、自分の母を殺していた。そこまでしないとパラディ島は世界と「話し合い」は出来なかった。

そういう背景を知ることがアルミンにとって重要だったのではないでしょうか。

過去と未来が同時に存在するとは?

本当のところは作者のみぞ知るなのですが、進撃の巨人は決定論的世界観で作られていると考えられます。そのような状況を作っているのが始祖の力(エレン)の因果のループだということです。

観測者(現在エレン)にとってあらゆる出来事がすべて最初から決まっていて、かつ時空を超える描写があるならば、自ずと「過去と未来が同時に存在する」ことになります。

エレンやジークが過去へ何かしら影響を与えることも全て織り込み済みでこの世界が作られているのです。

「過去と未来が同時に存在する」「時間は流れていない」みたいな話は、ちょっと調べれば物理学の世界でもそういう理論があることがわかると思います。

「進撃の巨人は〇〇理論を元に作られている」ということを主張したいわけではありません。SF作品の時間設定として普通にあることだからおかしいと騒いでもしょうがないということです。

過去と未来が同時に存在する描写を理解するためには、「いわゆるパラレルワールド」「やり直しのループ」「if世界」「過去改変してどうにかする」のような発想を一旦忘れる必要があると思います。

そうしないと、「あそこがおかしい、ここがおかしい」と余計なことで頭を悩ませることになりそうです。

決定論的世界観「すべてが最初から決まっている」

作中に「未来の記憶」が登場するということは、それは決定論的世界と言えます。

なぜなら、もし未来が変わってしまうとそれは「未来の記憶」とは言えないからです。同時にそれは過去も変わらないことを意味します(過去から未来を見る人がいるため)。

また、作中には決定論を思わせるセリフも複数登場します。

  • 「ミカサやアルミン~」88話・クルーガー
  • 「そういう未来だと決まっている」121話・グリシャ
  • 「すべてが最初から決まっていたとしても」130話・エレン
  • 「未来は変わらないらしい」131話・エレン
  • 「始祖の力がもたらす影響には未来も過去も無い…同時に存在する」最終話・エレン

作品が完結するまでは別な解釈が出来る絶妙な言い回しなのが見事です(というか、すべてが確定するのは最終話の時点なので当たり前の話です)。

グリシャが「未来の記憶(エレン)」に影響を受けて行動した「レイス家惨殺」を矛盾なく成立させるには 変更不可能な状態で過去と未来が同時に存在 しなければなりません。

このような描写は、過去に原因があって未来に結果があるとする因果律では説明不可能です。

また、タイムスリップ的なものがあったときに「何かを変える(いじる・調整する)」とか「過去改変(過去干渉)」を想定するのも理解を妨げる気がします。

とにかく「すべてが最初から決まっていること」が何よりも強いルールです。そのような状態を作り上げたのがエレン達の行動なのですが、起きたことを整理すると最終的にたどり着く答えは同じになってしまいます。とりあえず、すべてが最初から決まっていると思っておけば、あまり混乱はしないはずです。ただしこのルールはあくまでも結果論なのでそれ自体が何か作中の出来事を説明できるものではありません。あくまでも便宜上そう考えると良いという話です。

ざっくり言えば、終わってみたら占い婆さんの予言の通りだった、というような古典的な物語と実質同じということです。

折り合いを付ける方法は?

「過去改変がある」という見方をすると、整合性を維持し、かつ「そういう物語だ」と納得するには、かなり高度な想像力を求められることになってしまうでしょう。

まず、パラレルワールドみたいなものだとすると、記憶改竄の意味がなくなります。なぜなら、その手の世界では何か問題が起きたら別な世界線だの別ルートだのへ行って過去を変えてしまえば良いという話になるからです。わざわざ記憶を改竄する意味がないのです。

さらに記憶ツアーは、エレンは「グリシャが始祖奪還に成功した世界」から、「グリシャが始祖奪還に失敗した世界」に移動してきて、そこから更に「グリシャが始祖奪還に成功した世界」に移動した、あるいは最初に戻ってきたという意味のない解釈をする羽目になります。

かといって、「グリシャが単独で始祖奪還に成功した世界」から「グリシャがエレンから影響を受けて始祖奪還に成功した世界」に移動したとすると、最初からそうだったというパターンと同じことになるので無駄です。

138話のミカサの山小屋にしても、マーレ遠征で枝分かれしたと考えると破綻します。それより前にエレンはダイナと接触して始祖の力を使っている訳ですから、ジークと接触して記憶ツアーに行くという工程も必須ということになるからです。もっと前から既にあった世界だというパターンにするとなると、じゃあ「オレはお前の何だ?」はそれこそ何だったんだということになってしまいます。

とにかく別な世界線なるものを想定すると様々な場面が噛み合わなくなるのです。

また、一本道の世界だとしても、その中で過去改変を繰り返すのなら「やり直しループもの」と意味合いは同じであり、親殺しのパラドックス的な問題は未解決のままです。

「悔いなき選択」とはなんだったのか。そこに読者はどう折り合いをつければ良いのでしょうか?

あるいは、エレンが過去を変えた後に、2000年分の一本道の歴史を全て上書き保存しているという考え方もありかもしれません(これも結局やり直しループな上、前後関係のつじつまは合わないままですが)。

その場合、エレンは変更以前の歴史を知っている必要があるのですが、作中の描写を見る限りエレンは何度も驚いていますのでループ前の記憶を何も覚えていないようです。

では、上書き保存の度にエレンの記憶も消えているというのであればどうでしょうか?

観測者であるエレンからすれば、それは結局「最初から決まっている」のと同じ事になってしまいます。やり直していると解釈する意味がありません。

グリシャのレイス家惨殺

121話でエレンがグリシャをけしかけてフリーダを殺して始祖を奪わせた描写があります。

  1. グリシャがフリーダから始祖を奪う
  2. グリシャからエレンへ始祖継承
  3. エレンとジークでグリシャの記憶の旅へ
  4. エレンがグリシャをけしかける
  5. グリシャがフリーダから始祖を奪う

因果関係で考えると1~5がループしてしまうため、タイムパラドックスが云々と指摘されたりします。

このように因果が一周回ってひっくり返るような形はSF作品で時折見られるパターンです(因果のループ、ブートストラップ・パラドックス)。

これを素直に受け入れるには、過去(原因)→未来(結果)という因果律のみに頼った世界の認識の仕方を改める必要があります。そもそもパラレルワールドやタイムトラベルも素朴な感覚からすれば普通じゃないのだから、それと同じようにそういうものだと考えれば良いということです。

あまり深く考えなくても、「未来(原因)→過去(結果)の因果も成立する」と思っておけばそれで済むでしょう。

過去と未来が同時に存在しているのであれば、順番など関係ありません。全ての出来事はもう既にそこにあるのですから、本来は因果の矛盾など初めから考える必要がないのです。

未来(グリシャに影響を与えるエレン)と過去(エレンに影響を受けるグリシャ)が同時に存在しなければならないので、自ずと変更は不可能ということになります。

これは確かに間違いなくループしていますが、やり直しではありません。全く同じことを永遠に繰り返す無限ループということになります。

なので、もしエレンがグリシャをけしかけなかったら…という「if世界」もあり得ません。

グリシャの件を取り上げてタイムパラドックス云々と指摘するということは、「進撃の巨人の設定の不備は巨人が出てくるところだ」という身も蓋もないことを言ってるのと同じようなものなのです。

また、この現象の原因はエレンではなくジークです。ジークが始祖の力を使ったせいで出来た環境の中でエレンとグリシャは進撃の巨人の特性によって互いに影響し合うことになり、それをエレンが利用したのです。エレンが独力で何かの能力を使って過去のグリシャに干渉したという訳ではありません。

ダイナ巨人の誘導

ダイナ巨人誘導の件も同じことです。

  • 850年。エレンがダイナ巨人と接触して座標の力を発動する
  • 845年。ダイナ巨人がベルトルトをスルーしてカルラの元へ向かう

グリシャの件の繰り返しになりますが、未来に原因、過去に結果を置く捉え方でも特に問題は無いと思います。過去と未来は同時に存在するのですから、原因と結果の関係に拘る必要はありません。

過去も未来も既に同時に存在するので、ダイナ巨人がベルトルトを食ってしまう、あるいはカルラが食べられない、といった「if世界」はあり得ません。

ちなみに、なぜダイナ巨人の行動が偶然ではいけないかというと、ライナーたちがシガンシナ区の壁際まで来て事前に呼び寄せていた大量の無垢の巨人を壁内へ侵入させる方法だと、普通に考えてカルラを食べるのがどの巨人になるかわからないからです。

ダイナ巨人は後にエレンの前に現れて座標発動のきっかけになります。そこを美しく繋げるためには、エレンがダイナ巨人のことを覚えていて、なんとしてでも倒そうとする動機がそこあるという状況でなければなりません。そうしないといかにもご都合という感じになってしまうでしょう。

だからダイナ巨人は「ベルトルトとニアミスしつつ先頭で壁内に侵入してエレンの大事な人を食べた巨人」にならなければならず、かつそこに至る過程も必然であったとわかる仕掛けが必要になります。

その仕掛けが未来から過去へ影響を与えてしまう始祖の力だった、ということです。

過去改変ではなく、過去が明らかになっただけ

過去が変わるはずがない

©諫山創 講談社 進撃の巨人 30巻121話「未来の記憶」

グリシャの件もダイナ巨人の件も、トリック的な要素を含むものの、言ってしまえば「実はこうでした」という形で過去が明らかになっているだけです。

作中全話通してビフォー・アフターが描かれている場面は1つもありません。

96話より前に、ダイナ巨人がベルトルトをスルーして壁の外から中へ侵入するまでの描写はありませんでした。

同じく121話より前、グリシャのレイス家惨殺はエレンが関与する部分を飛ばして描かれていました。

にも拘わらず、あたかも「過去を変えたように感じさせている」ところが面白いのだと思います。どちらも違和感なく描いて巧みに真相を隠していました。

これらの場面は過去改変ではありません。「エレンの関与も含め予め決まっていた出来事」が初めて明らかにされたのです。あの場で初めて確定したとか作り出したと言うことも出来ますが、いずれにせよ元々あったものを変えた訳ではありません。

もしグリシャやダイナの件の場面が示すものが「実はエレンが関わっていました」だけなのであれば、それはトリックの面白さを披露するだけのものになってしまい、ストーリー上の必然性を感じられなかったでしょう。

しかし、そこにはきちんと意味があり両立しています。

エレンは理由もわからず父親に巨人の力を押し付けられたのではなく、母親を食い殺された憎しみにただ突き動かされていたのでもなく、すべて自分の意志で選択し受け止める過程を経て、その上で進み続けたということです。それに加えて重要なのは、これらがエレンの思い込みによる自己解決のようなものではなく、ジークとアルミンが見聞きして信じているということです。

グリシャの記憶ツアーは伏線回収の衝撃が凄すぎて他が霞みがちですが、グリシャの過去を知る過程で起こるエレンとジークの嫉妬渦巻く兄弟喧嘩は非常に見応えがあります。これを経てエレンとジークは父への疑問や執着を乗り超えていくのです。

ダイナ巨人の誘導の裏には、エレンが母を捨ててミカサやアルミンを取る葛藤があり、またアルミンが自分の命のために犠牲になったのはベルトルトとエルヴィンだけではなくカルラもだったと知ることは、エレン亡き後の世界で生きて戦う覚悟を決めるために必要だったと思います。

紛らわしい表現

  • あぁ またこれか
  • おかげで今の道がある
  • あの時もし私が別の答えを選んでいたら結果は違っていたんじゃないかって
  • あの日あの時ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった

これらのセリフだけを読んで、その作品がパラレルワールドだと思うでしょうか。

そうではない作品のものだとして考えてみても全然おかしくありません。

「進撃の巨人」が一本道の一発勝負の物語だとしても成立するでしょう。

決定論は消える

この作品が決定論だというのは、ストーリーから導き出される結果論的な結論です。したがって、作中で起きたことの説明に「決定論だから」とか「時間軸が1つしかないから」という要素は使えません。そういう説明になってしまうのであれば、何かがおかしいということになります。

エレンは決定論だと理解しているのではなく推測しているだけです。結果的に推測は当たっているのですが、確信に至ることはありません。エレンが見た未来の記憶は妄想であり、信じたいように信じて行動した結果が地鳴らしを引き起こした…という可能性は残っています。

ちなみに、もしエレンが望んだ未来に行き着くためにあの世界の過去未来すべてを俯瞰して認識し自由自在に動かしていたと解釈するのであれば、エレンが決めたことは避けられないものではないことになるため、決定論だと言えなくなってしまいます。

まとめ

始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い

大ざっぱに言えば、「すべてが最初から決まっていた」という決定論的な世界(状況、環境)を作っているのが始祖の力だということです。

中くらいの規模感で言えば、「始祖の力を使うことで過去と未来の因果が一周して固定される呪い」です。

細かく見れば、どこかで始祖の力を使うと過去にも未来にも同時に影響が出てしまうということ。どのような影響が出るかは、始祖の力を使ったときの状況、力を使った人間のやりたいことに左右されます。

850年にエレンがダイナ巨人と接触して始祖の力を使ったから、845年のダイナ巨人がベルトルトをスルーしてカルラの元へ向かった。そしてそれは巡り巡って850年にエレンがダイナ巨人と接触するための行動とも言えます。

エレンがカルラの死を受け入れてみんなを助けたいと願ったから、ダイナ巨人がそうなるように動いて始祖の力が使われました。

運命を受け入れるかどうか

要は、運命を受け入れる覚悟を決めてより良く生きる、そこに自由があるみたいな話なのだと思います。

エレンは結末と一部の途中経過を知っているだけであり、ずっと手探り状態で不安を抱えたまま、最初は自分が見た未来を変えようとしていました。

しかし結局は自分が見た未来の記憶の通りになってしまったのです。

※1 始祖の力を使えば過去も未来も関係なく巨人を操れる?

未来エレン介入説の矛盾

エレンが言ったセリフは「始祖の力がもたらす影響 には過去も未来も無い…同時に存在する」です。

ところが、まるで伝言ゲームの失敗例かのような、「始祖の巨人の能力は過去も未来も関係なく全ての巨人(ユミルの民)に影響を与えることが可能」というような解釈を数多く目にします。

更にこれが発展して「始祖の力を使えば過去改変が可能だから、エレンが過去に遡って様々な箇所で巨人(ユミルの民)を操って介入していた」よって「全てがエレンのシナリオ通りだった」という解釈もあります。

しかし、そうだとわかるセリフも、絵的な表現も、作中には一切登場しません。既に地鳴らしを発動させたエレンが過去の出来事に意図的に関与する必要性を論理的に納得のいく説明することもできないでしょう。

にも拘わらずこのような解釈が割とすんなり受け入れられてしまうのは、そうじゃないとエレンが語ったダイナ巨人がベルトルトを見逃したことについて説明がつかない、と思ってしまうからでしょう。

これはミカサが将軍家の力で世界をループさせているとか、過去に記憶を送っている(けど本人は忘れている)、といった陰謀論的な発想と同じです。

作中に描写が無いのであれば、普通に考えてそのような力は無いとされるはずです。

しかし逆に言えば、「無いと証明できない」ということでもあるため、こじつけようと思えばどうとでもこじつけることが出来てしまいます。証拠がなければ何でもありなのです。

もちろんこのページも例外ではありません。どこまで材料が揃えば信頼出来るのかというのは難しい問題です。

上に戻る

英語版

ちなみに英語版の「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い 同時に存在する」は、

the founder’s power has made it so that there’s no past or future… it all exists at once. となっています。

雰囲気で翻訳すると「始祖の力によって、過去も未来も無く、すべてが一発で同時に存在するようになった」みたいな感じになるでしょう。

何が存在するようになったの?と感じてしまいますが、多分「この世界のユミルの民のあれこれ」ということになるんだと思います。

あるいは、エレンという神的存在が過去未来関係なくすべての時間軸に同時に存在するというような解釈も出来るかもしれません。

しかしその場合、もし未来エレンが時系列無視ですべての巨人やユミルの民を自由自在に操れるのだとしても、その力を行使した結果が本編で描かれたものということになり、なぜそのようになったのかという明確な説明は出来ず(構造が説明を拒否しているとも言えるかも知れません)、現在エレンは好む好まざるに関わらずただひたすら結果を受け入れるだけと言うしかありません。

つまり説明としてはほとんど意味がないということです。

※0 温暖化がもたらす影響には北も南もない

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」の「始祖の力」と「過去も未来」を別なものに置き換えてみるとイメージしやすくなると思います。逆に遠ざかるかもしれませんが…

例えば「温暖化」「太陽」「台風」のような、広い範囲に渡って様々な影響が出るものです。

例) 温暖化がもたらす影響には日本もブラジルも無い…世界各地に満遍なく存在する

温暖化とは要するに気温が上昇することですが、それによって生態系に影響が出たり、海面が上昇して人が住める場所が減ったり、地球全体で環境の変化が起きます。

寒い地域では気温が上がって過ごしやすくなるというメリットがありますが、逆に暖かい地域の島は海面上昇によって居住面積が少なくなったり沈んでしまうというデメリットがあります。

これを踏まえて、温暖化→始祖の力、場所→時間にそれぞれ戻せば、なんとなく意味がわかるような気がしないでもないような…気がしてきませんか?

エレンは始祖の力を使った本人であり、過去や未来の記憶を通じてその影響がどのようなものであったかを知ってしまった…ということなのだと思われます。

上に戻る

関連

未来エレン介入説の矛盾

グリシャが見ていた「未来の記憶」 in 記憶ツアー

なぜ「未来は変えられない」のか

なぜ過去の継承者に記憶を送る能力は存在しないのか

記憶を送るのは進撃なのか始祖なのかそんなやつはいないのか

メニュー
📑目次
📑目次