未来エレンが始祖の巨人の能力で過去干渉して全部操っていた説の矛盾

最終話を読んで、「エレンが過去の巨人を操れるなんてクソ設定だ」「全部エレンが仕組んでいたなんてクソ脚本だ」と悲しみ嘆く人々がいます。

その一方で、「この物語は始祖を掌握したエレンが過去の巨人やユミルの民を操ることで歴史をいじくり回して自分の望む未来を手に入れた話」と理解し支持する人々もいます。単行本のレビュー、SNS、YouTube、掲示板、ブログ、質問投稿サイトなどを見る限りそれなりの数の人が受け入れているようです。

細かい違いはあるのかもしれませんが、共通して注目される点は要するに「始祖の力を使えば過去の巨人を操ることができる、つまり過去を変えることができる(過去を決定できる)」というところでしょう。

しかしそれは作中で示されていることとズレています。エレンが自由自在に過去を操作できることを保証する記述や表現はなく、むしろ逆であることを示唆する描写ばかりが出てくるのです。

このページではそうした矛盾について説明していきます。

なぜ始祖エレンが全部操っていたと言われるのか?

まずは問題のこの2ページ。

ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかったから見逃してダイナ巨人をカルラの元へ

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する だから…仕方が無かったんだよ…」

「あの日…あの時…ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった… …だから 見逃して…(母さん)に向かわせたのは…」

 

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻最終話「あの丘の木に向かって」

この場面を見て大半の人は「エレンはダイナ巨人をカルラに向かわせた」と読むと思います。ここで一旦止まり、ふわっとしたままにしておけば大きな問題にはならないでしょう。

しかし、必要以上に情報を読み取ろうとして推測を含めるとおかしくなります。

例えば、「エレンは始祖の能力(過去の巨人を意のままに操る能力)を使ってダイナ巨人を操り、本来食われて死ぬはずだったベルトルトを救い、カルラの元へ向かわせた」と読んだ場合は不確かな仮定を含んでいるため問題になります。

  • 仮定 1.「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とは、始祖の力(巨人を操ったりする力)を過去未来関係なく使えるという意味である
  • 仮定 2. エレンが「ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった」と言ったということは、食われて死んだ過去があった

この2つの仮定によって「始祖の力を使える対象が過去も未来も無制限ということは、ありとあらゆる場面にエレンが介入していたとしても不思議ではない…」という発想が生まれ、「全部エレンが仕組んだ」という仮説に繋がっていったのでしょう。

「全てではないにせよいずれかの場面でエレンの介入があった」とか「ダイナ巨人しか操っていない」とか、様々な意見はあるかと思いますが、いずれにせよ「エレンは始祖の力で過去に介入していた」とみなす点は共通しています。このページではこれらをまとめて便宜上「始祖エレン介入説」と呼ぶことにします。

過去を変えるという概念

始祖エレン介入説の基になっている2つの仮定の根底には「過去を変える」という概念があります。

ここで言う過去改変とは過去を変えることによってそれ以降の未来を変えることです。ある時点(未来)において特定の結果がほしい場合にその結果を得るための手段として物理的にしろ精神的にしろ何らかの方法でタイムトラベルして過去を変えるという、SF作品に出てくるそれです。

この概念を基に空想されるストーリーが実際に作中で示唆されている設定やエレンの認識とは矛盾しているということを先に説明し、その後にそれぞれの仮定を検証していきます。

大原則: 過去も未来も不変である

物語の内容とエレンのセリフ等から、この作品は過去も未来も不変であり、過去改変という概念は用いられていないことがわかります。

ストーリーの構成、構造からわかること

エレンとグリシャの因果の循環

グリシャがエレンの記憶(未来の記憶)に影響を受けてフリーダから始祖を奪い、エレンに継承。そのエレンがジークと接触して始祖の力によってグリシャの記憶の中に入り込む。そしてグリシャはエレンの記憶に影響を受けてフリーダから始祖を奪って…という無限ループ。これは過去と未来が同時に存在し固定されているからこそ実現される展開です。そうでなければ120-121話(アニメ79話)のようなエピソードは成立しません。このようなループを因果のループ、またはブートストラップ・パラドックスと呼んだりします。

845年にグリシャが854年のエレンの記憶を見て影響を受けるということは、その時点で854年のエレンは存在していなければならず、かつ、エレンはグリシャが見た記憶の通りの行動をすることになります。過去も未来も固定されて同時に存在しているということです。もしこれが変わり得るものなのであれば、未来の記憶という設定は成立しません。

エレンとグリシャとの間で起きているループがある以上、特に例外が発生していない限りはストーリー全体において過去も未来も不変であると考えるのが妥当です。少なくとも、ダイナ巨人がベルトルトを見逃したあの日は、121話でエレンとジークがグリシャの記憶を覗いていた期間の中で起きている出来事ですから、そこも不変であるとみなすべきでしょう。

そして、エレンやグリシャが見た未来の記憶は実際にその通りに起こりました。彼らが見た記憶とは違う結果が観測されたことは1度もありません。つまり、この作品の時間軸(俗に言う世界線)は1つだけだということです。

これで過去改変と多世界解釈(パラレルワールド、マルチバース、複数の世界線)的なパターンは成立しないことがわかります。138話の山小屋はパラレルワールドだとみなすに値する条件が全然揃っていないので考慮する必要はありません。

エレンの認識からわかること

すべてが最初から決まっていたとしても すべてはオレが望んだこと

すべてが最初から決まっていたとしても すべてはオレが望んだこと

 

©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」

このモノローグは、“始祖を掌握した後のエレン” のものです。彼は記憶で見た出来事、実際に体験した出来事に対して、すべてが最初から決まっている(変えられない)と感じていることがわかります。だからこそ、それは誰かに決められたのではなく自分がそう望んだからこそ起きたとみなしているのです。

作者はインタビューで王政編当時のエレンの心境について「自分という存在は、生まれてから死に至るまで、すべて親によって決められていたんじゃないか…そうした絶望の中で、自分に近い境遇のヒストリアがロッド・レイスという呪縛を振り切ったのを目にして、エレンも自分がすべきことに向き合う決心がついたんだと思います。〜」と答えています。

諫山先生「情熱大陸」出演決定記念! 過去インタビュー大公開③ 2018-11-15

エレンの自身の境遇・運命に対する考え方や態度には、物語を通じて流れがあるということがわかります。

未来の記憶は寸分たがわぬまま起こることは変わらなかった

何度も試みては失望したが 未来の記憶は寸分たがわぬまま起こることは変わらなかった

 

©諫山創 講談社 「進撃の巨人」The Final Season製作委員会 94話「あの丘の木に向かって」

これはアニメ版公開にあたり原作者によって追加されたものなので説明のセリフとして信頼度が高いと考えて良いでしょう。

上のモノローグと同様に “始祖を掌握したエレン” のセリフです。しかも、“ダイナ巨人をカルラに向かわせたと言った後のエレン” が別の未来や過去を見ていないと言っています。

「何度も試みた」というのは過去改変のことではなく、未来の記憶で見たものと違う結果になることを期待して、現在の行動として色々やってみたという意味です。地鳴らしを避けるための方法を模索したり、ラムジーを見捨てようとしたり、そういったことを指しています。

ダイナ巨人がベルトルトを食べた過去を食べない過去に変えたとか、そういう話ではないことがこれでわかるでしょう。

始祖エレン介入説(過去改変)の矛盾

ストーリーからも、エレンの実感からも、未来は不変であるということがわかります。過去も未来も不変だと示唆する描写が複数ある一方で、可変だと保証するものは一切出てこないのです。

もしエレンが過去を変える能力を使ったのであれば、「変える前の過去」を見ていなければならないし、「すべてが最初から決まっていた」と思うこともありません。

最初に挙げた最終話の「ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった」というセリフは、エレンが「ベルトルトが食われて死んだ過去」を見たから「ベルトルトが食われない過去」に変更した証拠ではないということがわかります。最初からベルトルトは食われていないのです。

ダイナ巨人の挙動について。エレンが「向かわせた」と言っている以上、エレンに原因があるという捉えるのは当然ですが、具体的な仕組みを断定するのはまだ早いです。しかし、少なくとも過去の巨人を操る能力を使って過去を変えた訳ではないということはわかります。

以上を踏まえれば、過去を変えるという概念や過去の巨人を操る能力だとかはこの作品の中には存在しないということになります。「過去改変」が前提になっている下のような仮説はすべて成立しないことがわかるでしょう。

成立しない仮説

  • 始祖エレンは自分の望む未来を手に入れるために過去の巨人やユミルの民を操ることで既存の歴史をいじくり回していた
  • エレンが望む地鳴らしが8割で止まってアルミンたちが英雄になり巨人の力が消滅する未来にたどり着くには過去をそれに合わせて改変する必要があった
  • 読者が目にしているのは始祖エレンが何度も過去改変を繰り返した結果できた世界線
  • あの世界は過去改変も、その試みも、すべて織り込み済みである

ここまでの説明で「始祖エレン介入説(過去改変)」が作品内容を反映したものではないことはわかると思います。

次に、「始祖エレン介入説(過去干渉)」が成立しないことを説明します。

始祖エレン介入説(過去干渉)の矛盾

ここで言う始祖エレン介入説(過去干渉)とは、「始祖エレンが過去の巨人やユミルの民を操ることは最初から決まっていた。だからこれは過去改変ではなく過去干渉だ」というような、過去未来不変の原則を守ることを意識した仮説です。

「最初から決まっている」をどう保証するのかというと、「エレンは始祖を掌握したときに記憶を通じて干渉すべき出来事がどれかを把握できた」という架空のストーリーを設定し、更に「道を介して干渉するのは過去改変ではない。なぜなら道には時間が無いからだ」と言い張るということをしています。

この仮説も作品内容と矛盾する点を複数抱えており、正当化できません。

始祖エレンには過去に干渉する動機がない

始祖を掌握したタイミング、つまり地鳴らしが発動された時点のエレンにはわざわざ自分から進んで過去に遡って特定の出来事に介入する動機がありません。かといって、エレンにとって強制的なイベント(ジークにグリシャの記憶の中に連れ込まれる等)もなければ、エレン自身が何かひらめく様子もありません。

先に取り上げた過去改変説は、仮説自体が「既存の過去を変える必要がある」という前提を自動的に持つことになる構造です(別な過去の存在を証明できていなければ意味がありませんが)。

一方、過去干渉説は、過去に干渉する必要性をつけ加えなければなりません。

しかし、エレンが過去干渉の必要性を認識していたことを裏付ける有効な証拠は作中に存在しないため、この仮説は正当化できないということになります。

オッカムの剃刀問題

オッカムの剃刀とは「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」とする指針のことです。

始祖エレン介入説や同系統の仮説の問題は、最初の仮説が妥当かどうかを検証せずにその仮説を正当化するための新たな仮説を次から次へと積み重ねてしまっていることです。

未来が先説

「あの世界は未来が先にあって、過去はそれに合わせて後からできる。だから未来は不変であり、過去改変でもないことになる」と謳う仮説がありますが、デタラメであることは明らかです。

この作品で未来が不変であるとみなすことができるのは、過去と未来が同時に存在するということが描かれているからです。一方が先で、もう一方が後という関係ではありません。

エレンは歴史の調整役説

未来が先説や、過去改変、および過去の巨人を操る能力の存在を正当化するために持ち込まれる仮説です。

エレンは歴史の調整役であり、ダイナ巨人がベルトルトを食べると歴史が狂って宇宙が消滅するから軌道修正するためにダイナ巨人を操ったとみなします。

何の証拠もないデタラメです。

過去を変える力を持っているとみなすということは過去が変わることを許容する前提のはずなのに、過去が変わることや、それによって宇宙が消滅することを心配するのは意味不明です。

過去改変ではなく、未来が先で過去が後から作られるのであれば、ダイナ巨人の挙動は最初からベルトルトに近づいて無視してカルラの元へ向かうという、ただそれだけのことと認定されるはずです。だから歴史の調整もクソもないので自己矛盾に陥っていることになります。

「決まっていた」のゴリ押し

過去改変ではないという縛りの中で過去の巨人を操る能力の存在を正当化するためだけに存在する仮説です。

どのように操るのかも予め決められていたという証拠は当然ありませんし、仮にそうなのであれば、エレンはただ見ているだけになるので過去の巨人を操る能力は存在しないと言っているのと同じです。

始祖エレン介入説の仮定検証

始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する

始祖エレン介入説(過去改変/過去干渉共通)の基になる仮定1について検証します。

エレンが言った「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」というセリフの意味をどう解釈するかという問題です。

始祖エレン介入説では、「始祖の力を使えば過去や未来関係なく影響を与えることができる」と解釈されます。そう解釈しないとエレンがダイナ巨人を操ったことを説明できないと考えるからでしょう。

しかしそう捉えた場合、エレンの次のセリフ「だから仕方が無かったんだよ」との繋がりがおかしくなります。「できるから仕方が無い」というのは意味が通りません。

なぜこのような齟齬が起きるのかといえば、先程のオッカムの剃刀の原則をないがしろにするからです。

エレンがダイナ巨人をカルラに向かわせることができたということは、過去の巨人を操ることができるということになる。だから始祖の力がもたらす〜は、始祖の力を使えば過去や未来関係なく影響を与えることができるという意味なのだ…というように、最初の仮定を正当化するための次の仮定を検証せずにどんどん継ぎ足していった結果、おかしくなったということです。

この仮説はエレンの「仕方が無かった」と噛み合わないということ以前に、作中の内容と矛盾するということは既に示した通りです。

ではこの「始祖の力がもたらす〜」についてどう考えれば良いのかという話になるのですが、別のページに詳細を載せていますので参照してください。

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とは?

あの日あの時ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった

始祖エレン介入説(過去改変)の基になる仮定2について検証します。

ベルトルトが食われた過去があったと読めると思ってしまうのは認知バイアスです。過去改変の証拠として使えないことは既に説明しました。

作品の内容と矛盾するのだから、別な過去が存在する前提の解釈は諦めるしかありません。

それを踏まえてこのセリフを考えるなら、会話の流れの中でエレンがアルミンにいつどの場面の話をしているのか伝えるための役割を果たしているとみなすのが妥当です。

あの日あの時ベルトルトが死なないということは、エレンとアルミンにとっては当然のことであり、死ぬべきではなかったという結果論的な感想を述べているに過ぎません。

ベルトルトが食われた過去

それでも尚ダイナ巨人がベルトルトを食べていたと仮定する場合、常識的な考えとしてその後の展開が不明であることを踏まえなければならなくなります。

我々が知っている最終話の始祖エレンが「ダイナ巨人がベルトルトを食べた過去」の延長にいる存在として成立するのかどうか、誰にも保証はできません。説明不可能な仮定を用意する必要はないでしょう。

既にパラレルワールドの存在は否定されていますが、それでも強引に「ベルトルトが食われた世界線」を想定した場合、最終話のエレンは「ベルトルトが食われた過去を食われなかった過去へと変えたエレン」とみなされます。我々が知っている過去とは違うけど、なぜか始祖の力を使える状態にあるエレンです。

当然、どうやってそうなったのか?という疑問が生まれますが、本編と矛盾の無い真っ当な答えを用意するのは不可能でしょう。

さらに、過去を変えることができるエレンは始祖を掌握しているはずなのだから、既に始祖を掌握して地鳴らしを発動しているにもかかわらずあえて過去を変える必要性はどこからくるのか?という疑問も増やすことになってしまいます。

解釈を捻じ曲げてまでして、それが本当のストーリーであると主張しなければならない理由は果たしてあるのでしょうか。

過去の巨人を操る能力の不都合

仮定1の関連として、過去の巨人を操る能力について検証します(既に無理筋だということは説明しましたので、仮に存在するとみなすとどうなるかという話です)。

エレンはダイナ巨人をカルラの元へ向かわせた。だから、エレンは過去の巨人を操る能力(道には時間がないから巨人を操る能力を過去も未来も関係なく使うことができる)という理屈であるはずです。

しかしこの理屈はストーリーにうまくなじませることができません。

なぜベルトルトが食われそうになる必要があるのか?

ベルトルトが食われそうだったので、エレンはダイナ巨人を操って見逃した。始祖エレン介入説においては概ねそのように読解されているはずです。

しかし、エレンがダイナ巨人を操れるのであれば、そもそもベルトルトが食われそうになる状況になるのは不自然です。なぜなら、エレンの目的がベルトルトを食わせないことなのであれば、わざわざ危険な状況まで待つ必要はないからです。

かといって、目的をカルラを殺すことのみであるとみなしたとしても、依然としてベルトルトが食われそうになる状況は不自然ということに変わりありません。

ベルトルトが食われそうになる状況を防げないのだとしたら、エレンはダイナ巨人を操ることができるという前提は正しくない可能性が出てきます。少なくとも完璧に制御出来ているとは言えなくなります。

つまり、エレンはダイナ巨人をカルラの元へ向かわせたとは言えるが、必ずしも過去の巨人を操る能力を使ってそれを実現したとは言えないということです。

自作自演問題

エレンは過去の巨人を操ることができるという前提の下では、「ダイナ巨人がベルトルトを食わずに見逃してカルラの元へ向かう」という一連のシーケンスはマッチポンプ、自作自演であると言わざるを得なくなります。

なぜなら、エレンはダイナ巨人を操ることで敢えてベルトルトのピンチを作り出し、救出。さらにその後に母カルラを食い殺させることによって自分自身を復讐に駆り立てた…ということになるからです。

しかし、最終話の会話でエレンはこの場面について「仕方が無かったんだよ」と言っていますので矛盾しています。マッチポンプを演出した張本人の独白として成立していません。

この自作自演を正当化するには、エレンの発言を嘘だとみなす必要がありますが、証拠がないことは明らかです。死ぬ直前の親友アルミンとの会話であるという文脈がある以上、エレンが嘘をついているというのは解釈の捻じ曲げとみなされるでしょう。

あるいは、エレンは過去を変える力を持っているがそれ以上に強い運命の力があるから変えられない、といった理屈を持ち出す手もあります。しかし、これは最初の仮定を正当化するために新たに仮定を設けている上、極めて不自然な操作をせざる得ない運命とは何かを説明ができていないままです。

脚本劣化①散らかり問題

ベルトルトを救ったのは、アルミンに超大型巨人を継承させるため。カルラを殺したのは、自分自身を復讐に駆り立てるため。だから仕方が無かった、と巷では言われたりしています。

しかし、エレンが過去の巨人を操れるという前提の下では、過去をそのまま再現しなければならない理由はなくなります。

アルミンに超大型巨人を継承させるためにベルトルトを使うことは必須ではなくなります。そもそもアルミンが巨人を継承する必要もありません。

また、カルラを殺すのはダイナ巨人でなければならない理由もなくなりますし、始祖の力の発動条件に気づくきっかけがエレン奪還作戦時にダイナ巨人と接触である必要もなくなってしまいます。

どうとでもあり得たストーリーというのが必ずしも悪いわけではありませんが、この作品の場合は過去の巨人を操る能力が存在するとみなしたときに脚本がクソになります。

脚本劣化②ハンマーのための釘

エレンの「仕方が無かった」との整合性を保つためには、マッチポンプを回避しなければなりません。そこで以下のような仮定を設けた場合はどうなるでしょうか?

  • エレンはベルトルトが食われそうになる場面に突然放り出されたからダイナ巨人を操って見逃すしかなかった
  • エレンは記憶を通じてダイナの行動を観察していたが、ベルトルトを食べそうになったので慌てて操作して見逃した

これもまたクソみたいなシナリオです。

ハンマーを持つと釘を探してしまうように、なんとかしてエレンが過去の巨人を操る能力を使う場面をひねり出そうとすると、どんどん脚本がクソになっていきます。

進撃+始祖で…

進撃+始祖の組み合わせによって、「時を超える」+「巨人を操る」が実現している説。

過去の巨人を操ることができるという仮定を正当化するためのこじつけでしかありません。

もしこれが正しければ、フリーダを食った直後のグリシャはそれが出来ているはずですが、そのような描写は存在しませんので説得力に欠けます。

エレンの意思にできない問題

過去改変やパラレルワールド理論だとみなす場合、カルラを殺したのはエレンの意思であると主張することができます。しかし上で説明したようにこの作品はそもそも過去改変話でもなければパラレルワールド間の移動を繰り返した話でもないので、すべては妄想ということで片付けられてしまいます。

一方、過去干渉だから過去改変じゃないと謳うパターンは、過去の巨人を操る能力を使っているという前提である以上、エレンは自分の意思ではなく定められた運命に従ってその能力を使いカルラを殺したことになってしまいます。

エレンの母殺しはストーリー上重要な意味があるはずですが、過去の巨人を操る能力を絡めると、うやむやにすることしかできなくなるのです。

過剰な介入を否定できない問題

過去の巨人を操る能力を前提にするせいで、「エレンが過去に介入したなんてとんでもない!」と言いたくても言えなくなる例

操ったのはダイナだけとは言えない問題

始祖エレン介入説を嫌うグループの中には「全部は操ってない。ダイナ巨人の操作だけが必要だった。それ以外は描かれていないからやっていない」と主張する人々がいます。

そう主張したい場合、エレンはダイナ巨人を意のままに操ることができたという前提でそれを可能にするシステムを考えたり、やった理由を探すのは得策ではありません。

道には時間がない→過去も未来も関係ない→だから操れると考える人が一定数いますが、それだと全ての巨人をエレンが操っていた説みたいなものと同じになってしまいます。過去の巨人を操る能力から離れないとずっと一緒です。

理論上あらゆる過去に介入できるのになぜダイナしか操らなかったのか、という疑問に答えられません。

疑問を潰すために、前提を変えないまま新しい設定をひねり出そうとしても徒労に終わるでしょう。

エレンは過去の巨人を “意のままに” 操ることができた、という前提を捨てる必要があります。

エレンはベルトルトを助けただけでカルラを殺してないと言えない問題

始祖エレン介入説を嫌うグループの中には「エレンがお母さんを殺すわけない!」と考える人たちがいます。

彼らは「エレンはダイナ巨人を操ってベルトルトを助けただけだ。そこから先までは関与していないし、どうなるか知らずにやったんだ」と言い張ります。

しかし、エレンが過去のダイナ巨人を操ることができるのであれば、カルラを食わせないようにできない理由はありませんので、この主張は通らないことになります。

元凶は「過去の巨人を操るの能力」に依存する仮説の組み立て方です。

「未来は不変」にまつわる誤解

未来は不変、過去は可変説

未来は不変とか、未来は1つという言葉が出てきたときに「未来=ゴール、過去=そこに至るまでの過程で変更可能」と誤解されていることがあります。巨人の消滅というゴールは固定されており、そこに至るまでの過程は変更可能だと思われているという話です。

そうではなく、すべてが最初から決まっているということが作中で示されています。少なくともエレンの認識はそうです。

世界線話

道には複数の世界線が同時に存在しており、始祖エレンはそれを何度も選択し直していた。エレンが選んだのは地鳴らしをする世界線Aである。そこに至る過程はそれに合わせてセットされるので過去は変えられない…というような説。

時間軸は1つしかないということは既に説明した通りです。

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