エレンが過去のダイナ巨人を操った方法。母親カルラを食べさせてベルトルトを見逃した理由

未来のエレン(19)が始祖の力を使いダイナ巨人を操ってベルトルトを生かし母を死なせることで歴史を調整した訳ではない、という話です。

実は逆で、本当は エレン(15)がカルラの死を認めたからこそ始祖の力を使えたのであり、その結果ダイナ巨人がベルトルトを見逃すことになった ということなのではないでしょうか?

ベルトルトが死んでしまうと後の展開が繋がらなくなるということや、エレンがダイナ巨人を操るための仕組みは?というのも間違いなく重要な要素でしょう。しかし、この2つを先に考えると解決不能な疑問が無限に湧いてきてしまいます。

845年にダイナ巨人がベルトルトを見逃してカルラを食べ、紆余曲折を経て850年にエレン(グリシャから巨人の力を継承しているエレン)の元へやって来たのは 始祖の力がもたらす影響 で決まったことです。

ダイナも巨人になる直前、グリシャに言っていました。「(グリシャが)どんな姿になってもあなたを探し出すから」と。

ではその影響をもたらす 始祖の力 を使ったのは誰なのかといえば、850年の 15歳のエレン です。

850年にエレンがダイナ巨人と接触して 始祖の力 を使うから、845年のダイナ巨人はベルトルトを見逃してカルラを食べるのです。

あの世界でダイナ巨人がベルトルトを食べずにスルーするなんて普通は絶対にあり得ません。

なぜそんなあり得ないことが起きるのかといえば、あれがまさに 始祖の力がもたらす影響 そのものだからです。

最終話でエレンがアルミンに言っていました。「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」と。

そしてこの一連の出来事を確定させるのが何かといえば、エレンがダイナ巨人と接触する決心がつくかどうか、つまり母カルラを捨ててミカサを取れるか(母の死を認め仲間を救って進む)ということなのです。

エレンはなかなか決心がつかないから傷の回復が遅れ、グズグズしている間にハンネスが食われてしまいましたが、それでもあと一歩が踏み出せない。

最終的にミカサの「マフラーを巻いてくれてありがとう」によってようやくエレンはカルラの死を受け止めて前へ進む覚悟を決め、カルラの「あんたは男だろ?たまには堪えてミカサを守ってみせな」という言葉通り、ダイナ巨人に立ち向かって行きました。

エレンは始祖の力を使ってカルラを殺したのではなく、始祖の力を使うためにカルラを死なせたのです。

エレンは 過去を変えたのではありません 。むしろ逆であの瞬間に 過去を受け入れた のです。

変えられない過去を受け止めて、自分で自分の背中を押し、地獄の未来へ進撃することが決まった瞬間でもあります。

これがエレンがダイナ巨人を操りベルトルトを見逃してカルラの元へ向かわせた理由です。

エレンはどのようにして過去のダイナ巨人を操ったのか

ダイナ巨人にまつわる始祖の力がもたらす影響が過去も未来も無く同時に存在する例

始祖の力を使うと過去にも影響を与えてしまう、ということです※。

850年エレン(15歳)は無垢の巨人を操ってダイナ巨人を殺し、ライナーとベルトルトを追い払いましたが、同時に845年のカルラの死も確定させてしまっていたのです。後にエレンはその詳細を勲章授与式で知りました。

始祖の力とはそういうものだ、ということを最終話でエレンはアルミンに語っています。

なぜエレンがダイナ巨人視点の記憶を見たのかといえば、接触したからでしょう。そしてその記憶はダイナ巨人がベルトルトを見逃す場面のものだった。ということは、ベルトルトスルーの原因は自分がダイナ巨人と接触したことだとエレンが感じたとしてもおかしくありません。

またこの問題に関して読者が考えられる範囲は「エレン(アルミン)がこの件についてどう思っているか」というところまでです。作中の史実とか事実という議論にはなり得ません。これは121話でエレンがグリシャを誘導したかのように見える描写についても同じことが言えます。

ただ出来事があるというだけで、「これがあったからこうなった」というような因果関係を証明することは不可能なのです。

※854年の始祖エレン(19歳)が「始祖の巨人の過去干渉能力」を使い845年のダイナ巨人を操ったのではありません。そのような能力は無いのです。

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とは?

始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻最終話「あの丘の木に向かって」

エレンは「始祖の力がもたらす影響」には「過去も未来も無い…同時に存在する」と言い、「だから仕方が無かったんだよ」と付け加え、その後に「ダイナ巨人がベルトルトを見逃してカルラの元へ向かう描写」が続きます。

「始祖の力がもたらす影響には〜」それ自体を仕方が無いことだと言っているのですから、「始祖の力がもたらす影響には〜」は「水は高いところから低いところに流れる」のような原理・法則について述べていると考えられます。

もし「始祖の力がもたらす影響には〜」が「過去(や未来)の巨人を自由自在に操ることが出来る」というような「能力」や「出来ること」を意味するものだった場合、エレンは「始祖の力を使えば過去の巨人を自由自在に操ることが出来る。だから仕方が無い」と言っていることになり、理由になっておらず意味が通りません。

始祖の力がもたらす影響は避けられない

言ってしまえば 未来の出来事が問答無用で過去に影響を与えて確定させてしまう ということです。

現在(過去)から未来への影響はエレンの立場からすると当たり前のことであり(むしろないはずがない)、問題になるのは過去にも影響があることでしょう。

無垢の巨人であるダイナ巨人が目の前の人間・ベルトルトを食べずにスルーするというのは進撃の世界ではあり得ません。

つまり、そこには何か「見えない力」がはたらいている、つまり「始祖の力がもたらす影響」が発生していると考えられます。

850年にエレンがダイナ巨人と接触して始祖の力を使ったことで、そこに至るまでの過去が確定した、と言えるでしょう(実際はすべて同時です)。

と同時に、過去のある時点から見れば「未来が確定した」ということになります。だから未来は変えられないのです。

影響の及ぶ範囲がどこまでがなのかという判断は難しいとは思いますが、この件に関して言えば、近くてもベルトルトスルー、もう少し広げるとダイナが巨人化するところまでは遡らなくてはいけないでしょう。

範囲を広げると最終的に2000年間ということになってしまい様々な出来事の因果関係がよくわからなくなります。しかし少なくともエレンは自分のせいでダイナ巨人がカルラを食べたと思っていることは確かなようです。

もしエレンがただ単に「この世のありとあらゆる出来事はすべて最初から決まっている」ということだけを説明したいのであればそう言ったでしょう。しかしわざわざ始祖の力がもたらす影響云々と話したということは、大きな流れの中にある1つひとつの出来事の原因と結果の関係を自分なりに認識しているということなのではないでしょうか。

こうして考えると、「エレンが過去のダイナ巨人を操った」とするよりも、「エレンが原因でダイナ巨人が導かれてしまった」とか「エレンが始祖の力を使ったせいで過去のダイナ巨人がベルトルトをスルーすることが決定した」と表現するほうが正しいのかも知れません。

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とは?

始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在するの図

語弊を恐れずに言えば、始祖の巨人の力を使うと作用と副作用が発生するということです。副作用は絶対に発生します。

  • 作用 → 始祖の力を使う者が狙ってやりたいこと。
  • 副作用 → 狙ってやりたいことを実現させるために必須となる始祖の力ならではの現象が過去や未来で現在の作用と同時に起きる。

作用と副作用は互いに密接に関係するものであり、それらが過去と未来に同時に存在する、つまり間にある一連の出来事もすべて確定するということになります。

ベルトルトスルーに対応する出来事

なぜ850年のエレンとダイナ巨人の接触が、ベルトルトスルーの原因だと言えるのでしょうか?

エレンとアルミンの会話の文脈から判断すると、ベルトルトスルーは「始祖の力がもたらす影響として起きた出来事」なので副作用ということになります。

では作用は?

エレンはこれを自分のせいだと思っている様子なので、エレンの関与がはっきりしている出来事があるはずです。

あるタイミングで始祖の力が使われ、その影響でダイナ巨人がベルトルトを見逃してカルラの元へ向かうことが絶対に起きる過去として決定されてしまう、そのような出来事とは?

50話「叫び」の座標発動しかありません。

なぜなら、850年にエレンが無垢のダイナ巨人と接触するということは、845年のダイナ巨人が絶対にベルトルトを見逃してカルラの元へ向かっていたことになるからです。

エレンはなぜダイナ巨人と接触出来たのか?

座標の力

©諫山創 講談社 進撃の巨人 12巻50話「叫び」

50話の時点でエレンは始祖の巨人をその身に宿していますので、あとは王家の血を引くダイナ巨人と接触すれば始祖の真価を発揮できることは読者なら誰でも知っています。

しかし、当時のエレンはそんなことはまだ知りません。にも拘わらず、なぜあそこでエレンはダイナ巨人と接触できたのでしょうか?

エレンをダイナ巨人に向かわせたものは?

本能がそうさせたとか、そうなると決まっている、というのを除外すれば「エレンが母カルラの死を認めた」からだと考えられます。

あの流れでエレンがカルラの死を受け入れるということは、言い換えればカルラを捨ててミカサを取るということです。

エレンと母

母と喧嘩したまま死別したことを悔やむエレン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 1巻2話「その日」

エレンはずっとカルラの言うことを素直に受け入れられず、最後まで喧嘩してそのまま死別することになったのを激しく後悔していました。

巨人を駆逐するために調査兵団に入って勇ましく戦っているように見えても、心の奥底で母の死をうまく消化できていなかったのだと思われます。

母カルラが生きている幻覚を見るエレン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 3巻13話「傷」

トロスト区奪還作戦(大岩で穴を塞ぐ作戦)のとき、アルミンが動かなくなったエレンを起こそうとしている場面。

このエレンの妄想のような幻覚のようなこの場所ではカルラが生きています。

エレンはこの段階ではまだカルラの死を認め切れていなかったのではないでしょうか。

ダイナ巨人がカルラを食べる

©諫山創 講談社 進撃の巨人 25巻100話「宣戦布告」

序盤から最終盤まで満遍なく度々登場するダイナ巨人がカルラを食べる場面の回想は、エレンが母の死を認めたくないこと、母の死の原因は自分にもあること、そしてダイナ巨人が始祖の力の影響を受けていることを暗示していると考えられます。

そして50話(アニメSeason2 12話)の冒頭、カルラの回想が挿し込まれます。

カルラの助言

カルラの助言

©諫山創 講談社 進撃の巨人 12巻50話「叫び」

 

エレン…どんなに相手が悪くても憎くらしくてもね

突っかかりゃいいってもんじゃないだよ!

あんたは男だろ? たまには堪えて

ミカサを守ってみせな

「マフラーを巻いてくれてありがとう」の下りを経て、エレンは初めてミカサを守るべき対象と感じるようになった、というような感じのことを作者がどこかのインタビューで答えていたと思います。

エレンの中でずっと保留にされてふらふらしていた母の死との向き合い方が、この絶体絶命の危機の中でミカサの告白も手伝ってようやく定まった、ということなのではないでしょうか。

それがあの急激な傷の回復と人間状態で巨人化跡が出る姿で表現されていると思います。

そしてエレンはカルラの助言通り、ただやみくもに巨人化するのではなく、座標の力を使って巨人を操り、ミカサをはじめ仲間たちを救いました。

親殺し

あらゆることが始祖の力がもたらす影響で決まっていたとしても、エレンがダイナ巨人に向かって行くまでのあの過程にはきっと「何か」があったはずです。

これは心理学でいうところの親殺し※というやつではないでしょうか。

通過儀礼(精神的な親殺し)として、エレンはカルラを捨ててミカサを取ったということです。

進撃の巨人が少年漫画であり、エレンをはじめ登場人物たちの成長を描く物語なのであれば、このようなエレンの内面に大きな変化が起きる場面は非常に重要だと思います(成長一辺倒で終わらないのもこの作品の面白いところです)。

そのエレンの変化・成長を仲間たちを救う座標発動(始祖の力を使った)として描いた。そしてその裏にはなかなかエグい背景がありましたよ、ということなのではないでしょうか。

この座標発動それ自体が結果的にベルトルトスルーを招いていたということであれば、それぞれの出来事が効果的に絡み、アルミンの超大型継承の意味も重みを増すことになります。

始祖の力は物語全体に関わるものですから、後付感、こじつけ感もなくなるでしょう。

また、エレンはウォール・マリア奪還後の勲章授与式で自分が始祖の力を使ったことがカルラの死の原因だったことを知りますが、同時に記憶ツアーでグリシャをけしかけることも知りました。

母殺しは実行後に知り、父殺しは事前に知った上で実行する…ということになり、「父さんが始めた物語だろ」と言ったときに感じたであろうエレンの苦しみはダイナ巨人のそれとはまた違った味わいがあります。

※心理学の親殺しは本当に親を殺すという意味ではないのですが、この場面を使って表現されているという話です。神話では本当に殺したりしますし、フィクションとしてそれほど突飛なものではないと思います。

巨人の力を支配する

ミカサやアルミンみんなを救いたいならお前はこの力を支配しなくてはならない

©諫山創 講談社 進撃の巨人 17巻67話「オルブド区外壁」

 

ミカサやアルミン… みんなを救いたいなら

お前はこの力を… 支配しなくてはならない

グリシャの言葉通り、エレンはみんなを救うために副作用バリバリの巨人の力を支配しなくてはなりませんでした。

座標の力を使ったあの瞬間、845年のダイナ巨人がベルトルトをスルーしてカルラの元へ向かうこと、さらに5年後に15歳のエレンの元へ座標の力を使うために絶対にやってくることが確定しました。

エレンの中で本当にカルラが死んだのはこのときだった、ということなのではないでしょうか。

エレンは過去を変えたのではなく、過去を受け入れた のです。

エレンは始祖の力を使ってカルラを殺したのではなく、始祖の力を使うためにカルラを死なせたのです。

大局的に見れば同じように見えるかもしれませんが、エレンにとっては大きな違いなのではないでしょうか。

本当の本当に心の底から認めたのは最終話でアルミンに暴露したときなのでしょう。結局全ては同時ということになってしまいますが。

エレンのカルラの死に対する認識・心理を映し出している場面はいくつかありますが、その筆頭が50話の座標発動とダイナ巨人のベルトルトスルー周辺の一連の描写なのではないでしょうか。

ダイナ巨人を動かした者がいるならば?

エレンが原因とはいえ、一般的にイメージされるような方法でダイナ巨人を操った訳ではないのであれば、一体どうやったのでしょうか?

最終話以前に「始祖の力がもたらす影響の映像化」と思われる描写が登場しています。

ピクッの巨人がジークを復活させに来る

©諫山創 講談社 進撃の巨人 29巻115話「支え」

ジークは無垢の巨人を操ることができますが、この「ピクッ」の巨人を呼び寄せるために特に叫んで命令したりはしていませんでした。

確かに「クサヴァーさーん!!」と叫んでいましたが、あれが呼び寄せるサインだったかどうかちょっとよくわかりません。

それよりも確かなのは、ジークは後に座標で始祖の力を使うということ(未来)、そしてそれを実現させるためには、始祖ユミルがジークを復活させることが必須だった(過去)、ということです。

つまり、ダイナ巨人の誘導も同じことだと考えられます。

認めること関係

認めたくないけど認めなければ的な葛藤といえば、ミカサと始祖ユミルが思い起こされます。

他にもまだたくさんいそうです。

この辺りは考察の価値があるのではないでしょうか。

未来の記憶で見たダイナ巨人視点のベルトルト

エレンが勲章授与式で見た未来の記憶

©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」

エレンがダイナ巨人視点のベルトルトの記憶を見たのは勲章授与式のときです。

130話「駆逐してやる」少年エレンのどアップ

©諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」

いつかはわかりませんが、この鬼の形相もおそらくダイナ巨人視点だと思われます。

なぜエレンはダイナ巨人の記憶を見られたのでしょうか?

1つはダイナ巨人と接触して始祖の力を使ったことで過去が確定し、記憶が流れ込んできた、みたいなイメージです。

もう1つの可能性として、ダイナがクルーガーの脊髄液で巨人化したということもあり得るかも知れません。そうであれば、ジークとファルコの例に比べて遠回りではあるものの、エレンとダイナが結びつき持つことはそれほど不自然ではないでしょう。

私は…なぜ。エレンがダイナとシンクロしている?

©諫山創 講談社 進撃の巨人 22巻87話「境界線」

エレンは懲罰房でダイナが巨人化する記憶を見て目を覚ました直後、一人称が「私」になっていました。「ここは?私は…なぜ」というセリフは、「あれ?私は巨人になっていたはずでは?」的なニュアンスを感じられなくもないでしょう。ダイナが巨人になる様子を見ていたグリシャが「ここは?私は…なぜ」と口にするよりも相応しい気がします。

このタイミングでエレンがそれぞれの記憶の内容をどれほど深く理解していたかは定かではなく、様々な出来事の因果を理解したのは始祖掌握後「地鳴らし」が出発してから、と考えるべきなのかもしれません(始祖を掌握することでエレンがどのような状態になるのかは謎ですが…)。

ダイナ巨人との接触を思い出すエレン

©諫山創 講談社 進撃の巨人 22巻89話「会議」

 

あの時は 一瞬だけ

すべてが繋がった 気がした

しかし、勲章授与式以降のエレンの豹変っぷりを踏まえて考えると、この時点でエレンは既に自分が始祖の力を使って起こしたことの意味がなんとなくわかっていた可能性は高いと言えるのではないでしょうか。

だからこそマーレでファルコに「自分で自分の背中を押す奴が見る地獄」について語り、わざわざライナーにも会いに行ったのだと考えられます。

レベリオ襲撃以前に、エレンが自分で自分の背中を押したと明確に言えるような経験が「母殺し」以外にあったのか?という話です。

エレンがベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかったと思った理由は?

エレンがベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかったと言ったのは、将来アルミンに食わせるとかどうのではなく、本当に死ぬべきじゃなかったと思ったからでしょう。

エレンの立場からすればベルトルトはカルラの仇同然の存在であり、腰巾着野郎と罵るほど憎む気持ちもあったのは確かだとは思いますが、それでも他人の都合に振り回されて死ぬべきではないと感じたんじゃないでしょうか。

「地鳴らし」しておいて何だそれはと言われそうですが、逆にだからこそ興味深い判断だと思います。

実際問題、エレンはマーレに渡った頃にはすっかりライナーに対する憎しみは消えてしまったというか、別な感情にシフトしていった様子でした。ベルトルトに対してもそう違いはないはずです。

ミカサやアルミンみんなを救いたいならお前はこの力を支配しなくてはならない

©諫山創 講談社 進撃の巨人 133話「罪人達」

 

お前らからは何も奪わない お前たちは自由だ

互いに曲げられぬ信念がある限り オレ達は衝突する

オレ達がやることは ただ一つ 戦え

シガンシナ区決戦で覚悟を決めたベルトルトは、まさにこの言葉を体現する戦う男になっていました。

エレンは当初から一貫してこんな感じの考え方であり、104期やパラディ島の人々にもそれを求めていたように感じます。

いくら「お前らが大事」とはいっても、何から何までお膳立てして守ってあげたいという訳ではないのです。

「あなたを探し出す」はミスリードではない?

どんな姿になってもあなたを探し出すから

©諫山創 講談社 進撃の巨人 22巻87話「境界線」

 

どんな姿になっても…

あなたを探し出すから

ダイナ巨人がグリシャの家に来てカルラを食べた原因は、87話で正体が発覚して以降しばらくは「あなたを探し出すから」が原因だとする意見が多数派だったように思います。

グリシャ不在でも匂いが残っているとか、昼ドラ的展開だとか、補完する理由がないこともなかったのでなんとなく納得されていたのでしょう。

しかし96話でベルトルトスルーが発覚してから徐々に怪しまれ始め、130話の記憶の断片にベルトルトのアップが登場してからは「黒幕エレン疑惑」の声が徐々に大きくなり、最終話発表以後は「あなたを探し出すから」は大半の人にミスリードだとみなされているように感じます。

座標発動に至るまでに必要な過程がすべて絶対に起こることになるのであれば、始祖の力がもたらす影響で導かれたということで話が済んでしまうので仕方がないのかもしれません。

しかし「あなたを探し出す」というセリフ自体が始祖の力がもたらす影響なのであれば、ミスリードどころかドンピシャ、本人の意志と始祖の影響の重ねがけということになります。

ミスリードがあるとすれば「どんな姿になっても」はダイナだけだと思われていたところでしょうか。本当は「グリシャがどんな姿になっても」という意味も含まれていたと解釈できます。

泣いても笑っても最終的にダイナ巨人は850年にエレンの前に現れなければならないので、ダイナが人間のときの、特に巨人化直前の行動に始祖の力が影響を与えていたとしても不思議ではありません。

いずれにせよ、ダイナのセリフにはきちんと意味があり、実行もされていた、ということです。

ダイナ巨人がベルトルトを見逃してカルラの元へ向かったのはなぜ?

ダイナ巨人がベルトルトを見逃したのはカルラを殺すため、同時に、エレンが始祖の力の使うためです。

なぜならエレンが始祖の力を使うためにはダイナ巨人と接触しなければならず、そして接触に至る最後のひと押しが、エレンがカルラの死を認めることだからです。

5年経っても顔を覚えていて、絶体絶命のピンチでも逃げ出さずに向かっていくなんて、母の仇でもなければありえないでしょう。エレンにとってダイナ巨人とはそういう存在でなければならないのです。

また、ダイナ巨人はベルトルトと絶妙なタイミングで交錯していますがこれにはきちんとした理由があります。

なぜなら他の巨人にカルラを奪われないように先頭で壁内に侵入しようと思ったらベルトルトが壁の外門を破壊した直後を狙うのが最善策だからです。

しかしこれだとダイナ巨人がベルトルトの付近を通過することは避けられず、そのときにダイナ巨人がベルトルトを食わないようにする「何か」が絶対に必要になります。

それが「始祖の力」です。

ベルトルトがまだ死ぬべきじゃなかった理由

あの日あの時ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった

©諫山創 講談社 進撃の巨人 34巻最終話「あの丘の木に向かって」

「ベルトルトがあのときに死ぬべきではなかった理由」はたくさん思いつきます。

ベルトルトが生き延びる代わりに犠牲になったのはカルラですが、このカルラの死によってエレンは巨人への憎しみが強くなり、「駆逐してやる一匹残らず」が飛び出して戦う原動力となりました。

850年にベルトルト(超大型巨人)がトロスト区の壁を壊すことで、エレンが巨人の力に目覚めるきっかけを作りました。

さらにダイナ巨人が無垢のままでいることによって、エレンと接触して座標の力の発動に繋がり、始祖の巨人の真価を発揮するには王家の血筋が必要ということが判明しました。

そして最後はアルミンがベルトルトを食って超大型巨人を継承することになります。

ベルトルトなくして進撃の巨人という物語は成立しないと言っても過言ではないでしょう。

なぜ始祖の巨人の能力で過去に干渉できないのか

そもそも一切描写がないのであり得ない仮定の話ではありますが、なぜ始祖の巨人の能力で過去の巨人を操ることが出来ないのかというと、物語が陳腐&矛盾だらけになるからです。

だからそのような能力は存在しないのです。

もし仮に、最終話のセリフや描写から「始祖の巨人の能力(エレンが出来ること)」を「過去未来関係なく全ての巨人やユミルの民を自由自在に操れる」と解釈すると当然湧いてくる疑問があります。

始祖掌握はダイナ巨人を操ることが出来た理由にならないのでは?

記憶ツアーは不要だったということになります。

なぜなら、ダイナ巨人を操ることが出来た理由が全ての時間に存在する始祖を掌握した19歳のエレンの力によるものなのであれば、グリシャもその力を使って操れば良かったという話になるからです。わざわざジークの助けを借りたり、グリシャがエレンの記憶を見ていることを利用する必要はありません。

グリシャのときはまだ始祖を掌握していなかったからそれは出来ないと言うのであれば、ダイナ巨人の場合も同様に845年の段階ではエレンはまだ始祖を掌握していなかったから操れないということになってしまいます。

なぜ始祖エレンが845年のダイナ巨人を操ることが可能なのか?と聞かれたら「始祖を掌握したエレンは過去も未来も関係なく影響を与えることが出来るから」と答えるのでしょう。それはエレンが始祖を掌握するタイミングはいつだろうが関係ないということを意味し、記憶ツアーのグリシャもダイナ巨人と同じように操れるということになります(始祖の巨人はすべての巨人やユミルの民を操れるという発言があります。123話のライナー、133話のアルミン他)。

であれば、始祖奪還が必須のあの状況で、始祖を掌握した未来エレンが始祖の力を使ってグリシャを操らないということはあり得ないはずです。

しかし実際は始祖の力は使われた様子はなく、エレンが記憶を通じてグリシャをけしかけて最終的に決断したのはグリシャ本人という形でした。よって自由自在に過去の巨人やユミルの民を操る力は無い、ということになってしまいます。

もっと良い結末があったのでは?

好きなように過去を変えることが可能なら他にもっと良い結末があったのではないの?と誰でも思ってしまうでしょう。理論上は無限にやり直せるのですから当然の疑問です。

本編の結果を見てみると、好き放題できるはずなのに最終的にエレンは死んでしまっているし、どうしてもやりたいと言った「地鳴らし」だって途中で止められてしまっています。

なぜこうなってしまったのでしょうか?

変えられる?変えられない?

「この物語はエレンの介入も織り込み済みであり、最初からすべてが決まっているから歴史は変えられない。だから仕方なくエレンは歴史通りになるようにダイナ巨人を操ったのだ」と考えることもできそうですが、これもなんだか腑に落ちません。

なぜなら、エレンが意図的に介入できるとした場合、「敢えてダイナ巨人を操る理由」が絶対に定まらないからです。「駆逐してやる一匹残らず」や「アルミン生存のための超大型継承」という必然の理由だったはずのものが、逆にすべて後付けということになってしまいます。

あくまでも他に選択肢がないからこそ「ベルトルトの存在が重要だった」という話になるのであって、その前提が崩れるとすべてがぶち壊しになります。「ベルトルトが生き延びた必然性」と「始祖の力を使ったエレンの意図的な介入(過去改変)」は両立しないのです。

エレンが様々な場面に介入できるということは、あの結末は「必ずしもこれしかないという訳ではないけれど、とりあえず今回はこの道を選んでみました」と言っているのと同じであり、なんだか物語が軽くなった印象を受けてしまいます。これではただ単に「実はエレンがお母さんを殺してました」というインパクト重視のイベントを挿し込みたいという作者都合の後付け設定のように思われても仕方がありません。

過去を変えられるとか変えられないとかいう話が入り乱れた結果、最終的にご都合主義のように感じてしまいます。

ここまでこんなに面白い物語を作ってきた作者がそんなことをするのでしょうか?しかも最終回で?

そうは思えません。

「能力」ではなく「仕様」

だからエレンの身の回りで巻き起こった現象は、始祖の巨人の「能力」を行使した結果というのではなく、いわゆる「仕様」として、過去も未来も関係なく同時に影響をもたらしてしまっていた、という形になっているのです。

エレンは自由自在に使える能力で過去のダイナ巨人に干渉したのではありません。

みんなを救うために始祖の力を使った結果、実は過去に干渉してしまっていたという事実を後から知ったのです。

まとめ

エレンとハンネス

©諫山創 講談社 進撃の巨人 12巻50話「叫び」

エレンがダイナ巨人を操りベルトルトを見逃してカルラの元へ向かわせた理由は、エレンが母カルラの死を認めたから。

ダイナ巨人がベルトルトを見逃してカルラを食べ、エレンの前に現れたのは始祖の力がもたらす影響。

エレンがダイナ巨人と接触して始祖の力を使ったから、その影響でダイナ巨人は何がなんでもエレンの前に現れることが確定した。

エレンがダイナ巨人と接触できたのはカルラの死を受け止めて、みんなを救うと覚悟を決めたから。

エレンは計算ではなく本心でベルトルトは死ぬべきじゃなかったと思っている、はず。

ダイナの「あなたを探し出す」はミスリードではない。ただしそれも結局は始祖の力がもたらす影響である可能性もある。

関連

未来エレン介入説の矛盾

グリシャが見ていた「未来の記憶」 in 記憶ツアー

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とは?

記憶を見せるのは進撃か始祖か誰でもないのか

なぜ「未来は変えられない」のか

メニュー
📑目次
📑目次