ダイナ巨人がベルトルトをスルーしてカルラの元へ直行した理由
完結して考えが変わったというか、色々補足すべきだと思ったので別なページを作りました。
新→ エレンがダイナ巨人を操りベルトルトを見逃してカルラの元へ向かわせた本当の理由とその方法
↓ここから下は昔の考察です。
★★★
ダイナ巨人がベルトルトをスルーしてカルラの元へ直行した理由、そしてそれが物語にどのような意味を与えるのかについて考察します。
彼女の不思議な行動の理由は「奇行種だから※」で済まされがちです。
ベルトルトをスルーしてカルラへ直行したのも、エレンの目の前に現れて座標発動のきっかけになったことも、全ては「どんな姿になってもグリシャを見つけ出す」という執念がそうさせたと解釈されることが多いように思います。
奇行種の定義が曖昧なこともあって、「まあ、そういうもんじゃないの?」という感じで流されてしまうのでしょう。
※作中で誰かがダイナ巨人を奇行種だと呼んだことはありません(26巻106話「義勇兵」にて、エレンは「無垢の巨人として彷徨うダイナ・フリッツ」と言っています)。
©諫山創 講談社 進撃の巨人 24巻96話「希望の扉」
しかし、130話にエレンが見た「記憶の断片」にダイナ視点と思われるものが登場したことで、別の可能性も浮上してきました。
物語も終盤を迎える段階でわざわざこのような描写が出てきたということは、核心に関わる重要な事柄に深く関わっていると考えられます。
「すべてはオレが望んだこと」という文言が示すように、これはダイナ巨人にまつわるエピソードに必然性を与えるためであり、それが「エレンの意志」によるもの、という方向付けがなされているように感じます。
もしこれが本当にエレンの思惑通りであるならば、物語のクライマックス、ミカサの「マフラーを巻いてくれてありがとう」に繋がる可能性もありそうです。
※これは予想を書いているページです。解説ではありません。いわゆるトンデモ考察です。
この記事は136話公開後辺り(139話で完結すると発表された後)に作ったのでけっこう素っ頓狂なことが書いてありますが、結果的に近からず遠からずで面白いのでそのまま残しています。
何かしら考察の参考になれば幸いです。
エレンがどうやって過去のダイナ巨人を操ったのか?というのは以下の記事に書いてあります。
ダイナ巨人を操ったのは19歳の始祖エレンではなくて強いていうなら15歳のエレンですよ、ということを書いています。
130話の記憶の断片
©諫山創 講談社 進撃の巨人 左・32巻130話「人類の夜明け」 / 右・24巻96話「希望の扉」
ベルトルトの髪の長さや表情から、これはダイナ巨人の視点だと考えられます。
あの場に居合わせたキャラクターは他にライナーとアニがいますが、このときベルトルトはダイナ巨人にスルーされたことに戸惑っているうちにライナーに救出されて驚いていました。つまりライナーやアニと目を合わせている暇はないのです。
鳥視点という可能性もなくはないと思いますが、ダイナ視点である可能性が高いでしょう。
なぜエレンがダイナ視点の記憶を見たのか?
あの記憶の断片がダイナ視点であるならば、なぜそれをエレンが見たのか、ということが問題になります。
考えられるのは2つ。
- ①ペチンでエレンとダイナが繋がったから
- ②ダイナがクルーガーの脊髄液で巨人化したから
①ペチンでエレンとダイナが繋がったから
50話「叫び」でエレンとダイナが接触したことにより座標が発動しました。
始祖の巨人が他の巨人をコントロールする、というやつです。
このときのことをエレンは「すべてが繋がった気がした」と回想しています。
エレンが道を介してダイナと強い結びつきを得たと解釈してもおかしくはないでしょう。
記憶を見たことの説明としては申し分ないと思います。
だからといってエレンがダイナを誘導できることに即繋がる訳ではないのですが。
②ダイナがクルーガーの脊髄液で巨人化したから
エルディア復権派が楽園送りにされたとき、巨人化に使われた脊髄液がすべてクルーガー由来のものだったとしたら。
ジークの脊髄液で巨人化したファルコはジークの記憶を見ています(133話)。
ジークを中心とする道を介した記憶のネットワークが生まれるようなイメージです。全てのユミルの民は道で繋がっている訳ですから、無理のない解釈だと思います。
これと同じようにクルーガー・ネットワーク的なものが生まれていると考えれば、エレンがダイナ視点の記憶を見たことも納得できるのではないでしょうか。
とはいえ、クルーガーが自分の脊髄液を大量に仕込んだ具体的な描写がないので信憑性はいまいちです。
今回は①ペチンでエレンとダイナが繋がった説を採用することにします。
時系列問題
ペチンが原因でベルトルト・スルーが起きたとするならば時系列が逆になってしまいます。
しかしこれはグリシャのレイス家殺害に記憶ツアー中のエレンが影響を与えていたことと同じで、未来→過去(未来⇔過去)の因果によって説明できます。
この因果の循環は直感的に受け入れ難いかもしれませんが、作中で既に描かれていることなので認めざるを得ないでしょう。
エレンとグリシャの循環
- 845年。グリシャがフリーダから始祖を奪う
- 845年。エレンがグリシャから始祖&進撃を継承
- 854年。記憶ツアーでエレンがグリシャをけしかける(礼拝堂地下の出来事は845年)
エレンとダイナ巨人の循環
- 845年。ダイナ巨人がベルトルトをスルーしてカルラへ直行
- 850年。エレンとダイナ巨人が接触して座標発動
- 854年?道からエレンが始祖の力でダイナ巨人を誘導?(壁破壊は845年)
※便宜上、作中の時系列で起きたであろう順に番号をつけています。ただし、もし本当に循環しているならば「順番はない」ということになります。
なぜエレンはダイナ巨人を誘導したのか?
わざわざ記憶の断片が描かれたということは何か理由がある、つまり130話までに描かれていない新事実を示しているということです。
その新事実の筆頭候補が「エレンがダイナを誘導していた」ということになります。
根拠は「すべてはオレが望んだこと」→「記憶の断片」→「すべては…この先にある」というコマと文言の流れです。
エレンは「この先」を目指しており、記憶の断片はそこに辿り着くまでに払わなければならない代償、という表現なのだと思われます(断片の全てがネガティヴなものではありませんが)。
ダイナの不審な動き
- ベルトルトをスルー
- シガンシナ区内で他の人間をスルー
- カルラをすぐに食べずに引きちぎっている(アニメ。原作は一旦握りつぶす)
- トロスト区攻防戦に現れない
- エレン奪還作戦の終盤に満を持して登場
- エレンには優しくタッチ
単なる奇行種として済ませることも出来るかもしれませんが、何かあると考えるにも十分な材料が揃っていると思います。
どうやって誘導したのか?
↓この部分は間違っていると思います。
エレンはどうやってダイナを誘導していたのでしょうか?
50話の座標発動の際、エレンは無意識に無垢の巨人をコントロールしていました。だからダイナ巨人の場合も同じようにほとんど無意識、何か命令のようなものがあったとしても非常にざっくりとしたものだったと思います。
説得力の欠片もないのですが、「始祖の巨人の力を使えばすべての巨人を操れる」という設定(作中の伝承)を考えれば「奇行種が偶然引き起こした奇跡」よりはいくらかマシではないでしょうか。
ジークが無垢の巨人を完全にコントロール出来るわけではないように、エレンも始祖の巨人の力を使えるとはいえ簡単な誘導しか出来ないと考えられます。それでもダイナ巨人にベルトルトや他の人間を無視させてカルラの元へ直行させることは不可能とは言えないでしょう。
ましてやダイナは生前(?)「どんな姿になってもグリシャを見つけ出す」という強い想い、執着を抱いているわけですから、始祖の巨人の力を持ってすれば比較的簡単にコントロール出来たとしてもおかしくはありません。
121話の記憶ツアー中、レイス家礼拝堂地下に於いて、エレンはグリシャに対してかなり強い言葉を使ってけしかけています。なぜなら、グリシャは自意識を持つ人間状態であり、しかも自分が人を救う医者であるという強い自負からレイス家殺害を躊躇っていたからです。要は葛藤している人間を無理やり説き伏せているわけです。
それに比べればダイナのような特定の目的がある(ように思われる)無垢の巨人を誘導するのは簡単なのではないでしょうか。
↑この部分は間違っていると思います。
↓おそらくこういうことだと思われます
エレンがダイナ巨人を操りベルトルトを見逃してカルラの元へ向かわせた理由とその方法
850年にエレンがダイナ巨人と接触した瞬間に、ダイナ巨人は845年にベルトルトをスルーしてカルラの元へ向かい850年にエレンの元にやってくると決まったということです。
なぜエレンはダイナ巨人を誘導する必要があったのか?
だったらこれまでの「ダイナ奇行種説」で十分じゃないか、と思う人もいるでしょう。
しかし改めて強調したいのは、物語の終盤である130話に記憶の断片が登場したという事実です。
これが何を意味するのかといえば、必然性の補強だと思います。
エレンはわざわざダイナ巨人を誘導してまで何をしたかったのでしょうか?
エレンたちが生き延びるため
影響が大きいところで2つ挙げられます。
- ①カルラの死 → エレンの生存 + 巨人継承
- ②ベルトルトの生存 → アルミンの超大型巨人継承
結局のところ エレンおよびパラディ島が生き延びるため ということに尽きると思います。
ダイナがカルラの元に来なければ、エレンは無垢の巨人に襲われて死んでいたでしょう。ダイナ巨人相手でなければハンネスは無理して戦って死んでいたかもしれません。
エレンが母カルラを失ったことは、グリシャがエレンに巨人の力を継承した原因の1つでしょう。そうしないとエレンが生き延びられません。
ベルトルトがいなければトロスト区襲撃は起きず、エレンが巨人の力に目覚めることはありませんでしたし、後の調査兵団のあらゆる作戦は成立しません。
アルミンが超大型巨人を継承したことで、マーレの調査船への対応やレベリオ襲撃時の軍港破壊が可能になり、パラディ島は時間稼ぎが出来ました。
滅亡寸前のパラディ島を救ったのはダイナ巨人
86話以降のグリシャの手記やマーレ編で明らかになったように、パラディ島は第1話のシガンシナ陥落より随分前から滅亡は避けられない状況でした。
マーレが侵攻してくることは既定路線であり、壁外へ出ることもままならない状態では侵略を防ぐために他国へ協力を求めることも不可能です。仮に島の外へ出られたとしても世界のエルディア人への憎悪はそう簡単に覆るものではありません。
しかし皮肉にも、シガンシナ陥落&ダイナ巨人がカルラを食べてしまったことがエレンの復讐心を目覚めさせることになり、パラディ島は生き残りの道を模索することが出来るようになりました。
エルヴィン風に言えば、生き残りの道を「模索しようとする」ことが出来るようなったということです。
さらにエレンはダイナ巨人と接触して座標の力を発動したことで「王家の血筋+始祖の巨人」という地鳴らし発動の仕組みに気づくことになります。
自由と代償
エレンにとって母カルラの死は大きな代償ですが、その見返りに自分の命が助かりパラディ島の延命(のために戦うこと)に繋がったというのは紛れもない事実です。それだけの価値があった、ある意味自由を手に入れたと言って良いと思います。
エレンの兄ジークもまた両親を犠牲にして自分と祖父母の命を救っています。そもそも生きるってそういうことだよね、というのは作中で繰り返し描かれていることです。
エレンの場合は経緯や方法が大変残酷であることは否めませんが、何もせずただ死を待つのではなく「生き残るための道を模索する、戦う」という自由を手に入れたという意味では同じです。
この一連のダイナ巨人を巡る描写は、自由と代償をより鮮明にし、物語に説得力を与えていると思います。
50話「叫び」のミカサの目線は記憶ツアーファイナルを示唆?
©諫山創 講談社 進撃の巨人 12巻50話「叫び」
妄想です。
50話はミカサの目線やエレンの不審な挙動から、再び記憶ツアーがあってこの場面にやってくるのではと予てから各所で噂されています。
もしダイナ関係のあれこれがエレンの誘導によるものだとすると、クライマックスで50話の場面が登場しても取って付けたような感じにはならず、自然な流れとして受け入れられると思います。
というのも、120~121話でのグリシャの記憶ツアーというのはそもそもエレンとグリシャの記憶が繋がっているからこそ成立する話だからです。
エレンとダイナが道を介して強く結びついているのであれば、そこにミカサを連結させれば記憶ツアーが成立します。エレンは既に始祖の巨人を掌握しているようですから、あとはエレンとミカサの接触を待つのみです。
なぜ記憶ツアーファイナルが必要かと言えば、やっぱりエレンとミカサは最後に何かあるでしょうということ。
そしてそれは最期を覚悟したお別れの挨拶的なものになるだろうと想像されます。
つまり50話の「マフラーを巻いてくれてありがとう」や、1話の「いってらっしゃい」です。
座標(叫びの力)の必然性と不思議
50話「叫び」にはいくつか不思議な点があります。
- ダイナ巨人はエレンにそっと手を出しているように見える
- エレンの傷が治るタイミング
- カルラの回想
あの状況でエレンたちが生き延びるためには、座標の力以外の方法では無理だったでしょう。
もし仮にハンネスが食われる前に傷が治ってエレンが巨人化したところでダイナ巨人は倒せても大量の無垢の巨人やライナーたちを相手に勝つことは不可能です。オセロのようにあの場にいた敵の巨人を味方につけて大逆転するしか道はありませんでした。
とはいえ、なんでそんな都合の良いことが起きるのでしょうか?
やはり初めから仕組まれていたと考えるのが収まりが良いと思います。
まず、ダイナ巨人はエレンを殴ろうとしているのではなく、座標発動のために優しく手を出しているように見えます(考え過ぎ?)。
また、エレンの傷が治るタイミングが不思議です。ハンネスが食われるまでいくら頑張っても傷が治らなかったのに、ミカサに「ありがとう」と言われると一瞬で回復してしまいました。
ミカサの「~ありがとう x3」も気になります。いくら言語力に難があるとはいえ、死を覚悟したあの場面にそぐわないというか不自然です。もうちょっと何かあるだろう感が否めません。
さらに冒頭のカルラの回想。それまでの流れからすると母の回想が挿し込まれるタイミングとしてはやや唐突な感じがします。
自らの意志で母を殺した後悔や母の死が自分を生かしていることを改めて強調しているのでしょうか?母からの承認という部分にも関わってきそうです。
女型にエレンが食われたときなど、ミカサとカルラが微妙にシンクロしているような描写もあるのでその辺も気になります。
2話50話139話で怒涛のシンクロ
このサイクルの始まりは50話のペチン。それが2話でエレンがダイナ巨人を誘導してカルラを殺したことに繋がります。
そして50話でエレンがダイナ巨人をコントロールしてハンネスを殺させたからこそ、ミカサが死を覚悟してエレンに「マフラーを巻いてくれてありがとう」が出ました。
これは139話の記憶ツアーファイナル中にミカサがエレンにかける最後の言葉と被っており、そこに「いってらっしゃい」が加わる可能性もあるんじゃないかと思います。
一連のミカサの言葉で50話エレンが救われて傷が回復。139話エレンから見るとミカサの独り立ちが叶って安心…などでしょうか。
50話エレンがダイナ巨人をコントロールして優しくタッチして座標発動、そしてそれは同時に139話の地鳴らし巨人の活動休止のスイッチでもある。だけどタイミングは最悪というか時既に遅し……。
なーんてことになったらすごいな、と思います。