アッカーマンに記憶の改竄は効かないのでは?
最終話のミカサのセリフ「アルミンも… 記憶が戻ったんでしょ? エレンが… 私達に会いに来てた時の」
これを受けて、おや?アッカーマンには記憶の改竄は効かないはずでは?と思ってしまうかもしれません。
アッカーマンは記憶の改竄が効かないという設定はウソだったのでしょうか?
それとも、ミカサのセリフがおかしいのでしょうか?
結論を言うと、ミカサは記憶を改竄されていないし、セリフもおかしくありません。
アルミンやジャン達の巨人化解除を見せる順番の都合上、言い回しがややこしく感じるだけだと思います。
設定を疑うような余地はほとんどありません。
ミカサ&アルミンの会話とみんなの巨人化解除後の騒動は一斉に起きている
- エレンの生首を抱えたミカサがアルミンの元へ向かう
- ミカサ「アルミンも… 記憶が戻ったんでしょ? エレンが… 私達に会いに来てた時の」
- 見開きページ。みんなの巨人化解除
- ジャン、ライナー、コニー、アニの記憶が戻った描写
マンガなので順番があるような感じになっていますが、「ミカサ&アルミンの会話」と「ジャン達の巨人化解除後の反応」は同時進行です。
アルミンとジャン達が巨人から人間に戻るタイミングは普通に考えて同時になるはずでしょう。
巨人の力が消えたことを、アルミンがエレンからそうなると聞いていたことを、見開きページでアルミンのセリフと共にドカーンと見せる演出上、先に提示されるミカサのセリフがちょっとおかしく感じてしまうということなのだと思います。
ミカサのセリフを補完
アルミンも… 記憶が戻ったんでしょ? エレンが… 私達に会いに来てた時の(私は忘れていた訳じゃないけど)
↓
アルミンも、ジャンとコニーとライナーとアニと同じように、「エレンが私達に会いに来てた時の記憶」が戻ったんでしょ?(私は忘れていた訳じゃないけど)
ミカサはアルミンの元へ来る途中、ジャン達が記憶が戻って騒いでいる様子を見ていたはずです。そうであれば、これは特におかしな言い回しではないということになります。
逆にもしミカサが周囲の様子に目もくれずアルミンの元へ直行していたのであれば、2人きりの会話ですので「記憶が戻ったんでしょ?エレンと会っていた時の」というような、「アルミンも」と「私達」を省く形になっていたのではないでしょうか?
次のページの見開きとそれ以降の流れをどう見せるかという、順番も含めた演出的な問題でこうなったのでしょう。
ミカサとアルミンが会話しているページではジャン達が巨人から元に戻っていることをまだ隠しておきたい訳ですから、どうしてもミカサのセリフはタイトにならざるを得ません。
あるいは、138話の山小屋の場面でミカサはエレンから「みんなの記憶を一部消していて自分が死んだら元に戻る」的な説明を受けていた、というような解釈も出来るかもしれません。
とはいえ、ミカサからすれば本当にみんなの記憶が戻ったのかどうかを確認するには実際に様子を見るしかありません。
よって、いずれにせよ「アルミン も 記憶が戻ったんでしょ?」と言ったということは、ミカサはみんなの様子を見ていたとするのが穏便な解釈なのではないかと思います。
アッカーマンは始祖の巨人の力で操れない
アッカーマンには記憶改竄が効かない(始祖の力で操ることが出来ない)ということは、ケニーの祖父の昔話(65話)とウーリがケニーを操れなかったこと(69話)から納得できるはずです。
特にウーリの場面は、単に言葉による説明ではなく、「やってみたけどダメだった」と解釈するのに十分な描写だと思います。
また、フリーダがヒストリアの記憶を一部消していることから、「不戦の契」のせいで記憶を改竄する力が使えないという訳ではないこともわかるでしょう。
- 「アッカーマンは他のユミルの民と違って始祖の力で操作されない」ことを示す描写がある
- 「アッカーマンの記憶が消されているのでは?」と明確に疑われる描写はない
この2つが揃っているのだから、基本的にアッカーマンには記憶の改竄が効かないと解釈しても何も問題はないと思います。
ミカサとアルミンの描かれ方の違い
アルミンは事前にエレンと会っており、その上で記憶を消されていました。
エレンは記憶を消すときに「記憶はすべて消す」と言っており、アルミンは思い出したときに「思い出した」と言っています。
そして場面が切り替わるときに131話と同じオディハに向かう船の様子が挿し込まれ、「事前に会っていた」ということが強調されています。
突き詰めれば疑う余地はまだありますが、セリフと時系列を示す描写が揃っている以上、アルミンは「エレンと会っていたときの記憶を消されていた」と言って良いでしょう。
一方、ミカサは最後の最後に会っていました。
アルミンと同じように事前に会っていたとか、ミカサがエレンに消されていた記憶を思い出したという証拠はどこにもありませんので、タイミングに関しては138話のあのときと捉えるしかないでしょう。そして「記憶がどう扱われたか」に関して確かな描写は何もありません。
138〜139話(最終話)という連続したエピソードの中で似たような状況設定の場面が描かれ、一方では「記憶を消す」と言い、もう一方では何も言及がないのです。
この2人の描かれ方の違いは、「エレンはミカサの記憶を操作していない」ということを示しているのではないでしょうか。
「忘れてくれ」は記憶を消せないから?
138話のスイス風山小屋の場面でエレンはミカサに「忘れてくれ」とお願いしていました。
これは記憶を消せないから「忘れてくれ」と言っているように感じるかもしれませんが、実は違います。
なぜなら、ミカサがエレンと会ったときのことを始祖の力によって忘れたとしても、それは一時的なものであり、エレンが死んでしまえば結局はアルミン達と同じように思い出してしまうからです。
よってエレンのセリフ「オレのことは忘れて 自由になってくれ…」は、言葉通りミカサに幸せに長生きして欲しいという意味で言っていることになります。
アッカーマン問題として考える上で重要なのは、エレンがミカサの記憶を消した(ミカサの記憶が消えた)とわかるセリフや描写がないということです。
原理や仕組み?
なぜアッカーマンには記憶の改竄が効かないのか、その原理や仕組みについて作中で十分な説明がないではないかと思われるかもしれません。
それは確かにその通りです。
しかし、そもそもこの作品に登場する不思議な力や現象について、その原理が詳しく説明されているものなどあったでしょうか?
ほぼ0といっても過言ではないでしょう。
結果だけが示されるソリッドでタイトなハードボイルドだから進撃の巨人は面白いのです。