未来の記憶を見る仕組み

進撃の巨人。エレンが未来の記憶を見る仕組み

9つの知性巨人の1つである進撃の巨人の特性「未来の継承者の記憶をも除き見ることができる」とはどういうことなのか解説します。

解説というか、作中の表現から「わかっていること」と「わからないこと」を出来るだけ勝手な予想をせずに切り分ける、という感じです。

  • 記憶を通じて未来を知る過程
  • 「未来の記憶」が存在するのはどういう状況か
  • 進撃の巨人の継承者が未来の継承者の記憶を見られるようになった原因

強調したいのは、「エレンやグリシャが未来の記憶を見た」ということや「その周辺で起きている出来事」はわかっている一方で、進撃の巨人にどのような能力があるとかないとかいう説明は作中では一切されていない、ということです。

未来視という誤解?

121話でグリシャは「未来を知ることが可能なのだ」と言い、エレンは「オレは親父の記憶から未来の自分の記憶を見た」と言いました。

その結果、「未来を知ることが可能」という言葉が独り歩きし、「未来視」と変換され、 エレンは未来のことを何でも知っている と解釈されがちなのですが、仕組み(というか描かれていること)を知れば実際はそこまで都合の良いものではないことがわかるはずです。

また、この作品における未来の記憶は「未来が知れるなんて便利」ではなく、「知ってしまう地獄」という呪い的な性質が強いものだと思います(その地獄こそが自由だという話もありますが)。

※物語は完結しましたが、不明な点がたくさん残されています。むしろはっきりしていることは何一つないのでは?というくらいです。未来の記憶をどう捉えるかによって、登場人物の心理・感情の解釈や作品の評価を大きく分けることになると思います。

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未来を知る過程

グリシャにしろエレンにしろ、自分自身の未来を直接自分で見て知ることは出来ません(出来ると書かれていません)。

グリシャは「エレンの記憶経由」、エレンは「グリシャの記憶経由」という回りくどい方法で自分の未来を知ることになります。

最終的にエレンは「未来の自分が見た光景」を記憶として見ることになりますが、グリシャが見た自分の未来は「エレンから見たグリシャ」でしかありません。

知性巨人が先代の記憶を見る仕組み

知性巨人継承者が先代の記憶を見る仕組み

知性巨人継承者は過去の継承者の記憶を見ることがあります。巨人の力だけでなく、記憶も継承されているからです。

記憶を見るのは主に眠っている時(意識よりも無意識が勝っている状態)であることが多いようです。または、その記憶と関連の深い場所に居ること(15巻62話)や接触(15巻62話、22巻90話、27巻110話)等がきっかけになる場合もあります。

いずれにせよ記憶を見るのはほとんど偶然であり、継承者が自由自在にコントロール出来るようなものではないようです。

しかし、潜在的には前任者たちの記憶がしっかり継承されているため、後任の継承者は巨人の力の使い方などがわかる、という感じだと思われます。無意識の部分で繋がっているのでしょう。

進撃の巨人継承者の場合

進撃の巨人継承者が未来の継承者の記憶を見る仕組み

進撃の巨人の継承者の場合、「過去の継承者の記憶」に加えて「未来の継承者の記憶」も見ることができます。

ここが他の知性巨人の継承者と違うところです。だからグリシャは「未来の継承者の記憶 をも 覗き見ることができる」と言ったのです。

ただし、自由自在に記憶を見ることは出来ないのは他の知性巨人と同じだと考えられます。明確に違うと示唆する場面もないのでそう考えるしかないでしょう。

だからグリシャは能力ではなく「特性」と言ったのでしょう。いわゆる 能力ではない という点は物語を読み解く上で非常に重要だと思います。

知性巨人継承者たちは能力を使って自発的に記憶を見ているのではなく、場合によっては過去(未来)の継承者の記憶を見ることがあるという特性が備わっている、そういう境遇にあるというだけなのです。

グリシャは進撃の巨人をその身に宿しているため、「未来の継承者であるエレンの記憶を見るかもしれない」という状況にありました。ただし見られるかどうかはわかりません。

意味のない仮定ですが、もし記憶ツアーが行われず、エレンが記憶を通じてグリシャのことを見なかったのであれば、当然グリシャは自分の未来(エレン誕生後〜レイス一家惨殺)を事前に知ることはなかった、ということになります。

エレンが未来の記憶を見る仕組み

エレンが未来の記憶を見る仕組み。抽象的なやつ
  • ① 勲章授与式でエレンがヒストリアと接触(記憶の蓋が開いた)
  • ② グリシャが進撃の巨人の力でエレンの先の記憶(勲章授与式以降のエレンの記憶)を見る
  • ③ グリシャが見た「エレンの先の記憶」は「グリシャの記憶」になる
  • ④ 15歳エレンが「グリシャがエレンの先の記憶を見た記憶」を通じて「エレンの先の記憶」見る。つまり「未来の自分の記憶」を見たことになる

めんどくさいのは、これら①〜④は同時に発生しており、順番がある訳ではないというところです。

エレンが未来の記憶を見る仕組み。エレンとグリシャの記憶の同期

これが121話でエレンが言った「オレは親父の記憶から未来の自分の記憶を見た」のカラクリということになるでしょう(エレンの言葉を信じれば)。

エレンは 「エレンの先の記憶を見たというグリシャの記憶」を追体験したことによって自分の未来の記憶を見ることができた という言い方もできると思います。87話でエレンは地下牢屋でグリシャの記憶を見て、ダイナが巨人にされたときに泣きながら絶叫して目を覚ましました。あのときのエレンはまるでグリシャになっていたかのようです。これと同じようなものではないでしょうか。

このような現象はあくまでも偶発的なもの(本人の状況・精神状態に左右される)であり、エレンがグリシャの記憶の中から「エレンの未来の記憶」を探り出して見るというようなものではないと思われます。もし意図的であった場合、この物語は全然違うものになってしまうでしょう。

グリシャは “理論上は”「未来の継承者であるエレンの記憶」を進撃の巨人の力によって見ることができると考えられます。

エレンが「自分自身の未来の記憶」を見るには、一旦グリシャの記憶を経由しないといけません。

これはグリシャが自分の未来を知った方法が、「グリシャを見ているエレンの記憶を見たこと」だったのと同じようなものです。

ややこしいですが、直接自分の記憶を見て自分の未来を知ることは出来ないのです。それが可能だと示唆されるセリフや描写はありませんので、そうしておくのが無難でしょう。

また、最終話の冒頭でアルミンは「進撃の巨人の力で見た未来のためだってことは…わかるけどさ」と言っています。

エレンとしては「知性巨人共通の力を使って過去の継承者であるグリシャの記憶の中にある自分の記憶を見た」というよりも、たとえグリシャ経由だとしても「進撃の巨人の力で未来の記憶を見た」という感覚なのかも知れません。確かに、最終的にエレンが進撃の巨人を継承していなければならないことに違いはないので、アルミンのセリフは正しいと言えるでしょう。

ややこしくてめんどくさいからエレンがアルミンにざっくりと説明しただけかもしれませんが。

なぜエレンが未来の記憶を見たのは勲章授与式の時だったのか

エレンは地下室に到達しグリシャの手記を見たことで記憶が繋がり、世界がエルディア人を憎んでいるという現実を知り、現状を変えるにはどうすれば良いか真剣に悩んでました。

これはグリシャが始祖を奪還した直後に抱いた「これでエルディアは救われるのか!?」という想いと重なります。

エレンと王家の血を引くヒストリアとの接触がきっかけとなり、845年のグリシャは進撃の巨人の力でエレンの先の記憶を見ました。それと同時に850年のエレンはグリシャを通じて自分の先の記憶を見たのです。

エレンとグリシャが未来の記憶を見た仕組み

以下のページでもう少し詳しく考察しています。

グリシャが見ていた「未来の記憶」 in 記憶ツアー

現在のエレンが見ることになる未来の記憶の内容は「未来のエレンが保持する記憶(自身の体験 and 取り入れた他者の記憶)の中でグリシャが見たもの」に限定されると考えられます。

とにもかくにも一旦グリシャの記憶にならなければ現在のエレンは未来の記憶を見ることは不可能なのです。

グリシャがどの記憶を見るのか、その記憶がどのように選ばれているのかはいまいちはっきりしません。ジークの言う通り、 エレンはすべてを見たわけではない と捉えて良さそうです。

道に来た直後、エレンは始祖ユミルに無視されて戸惑っていましたし、マーレ編以降の行動を見ても何だかんだで手探り状態であることがわかります。

礼拝堂地下の記憶を見たとしても、初見ではなぜ自分がそこに居るのかわからないでしょう。

130話では記憶の断片が複数登場しましたが、新しい装備のミカサ、ボコボコのアルミン、上半身裸で手を伸ばすジーク…何をどう解釈すれば良いのでしょうか。

仮にこれらの記憶が数分に渡る動画だったとしても同じです。避ける避けない以前にいざその時が来るまで何がなんだか良くわからないでしょう。

エレンは未来に起きることの一部が見えているものの、どれがいつ何処でどのようにどんな理由で起きるのかはわからない。この絶妙な状態が物語を面白くしているのだと思います。

進撃の巨人の継承者同士が記憶を共有しているということは

進撃の巨人の継承者に限らず、全ユミルの民の2000年分の記憶は便宜上最初から用意されているものだと考える必要があります。

なぜなら、エレン(or グリシャ)に影響を受けたクルーガーが「ミカサやアルミン〜」と言う場面の記憶をエレンが見るということは、クルーガーが「ミカサやアルミン〜」と言っている時点で将来エレンがその記憶を見ることが決まっている、ということになるからです。

最初からすべてが決まっているということは、記憶から何からすべて予め用意されているということになります。

あるいは、エレンがその記憶を見た瞬間に初めて過去が確定したと解釈することも出来るかもしれません(過去を変えて上書きしたのではなく、初めて確定する)。ただし、これはあくまでも便宜上の話であり、過去と未来は同時に存在するからどちらが先ということはありません。

外野から見れば結局すべて最初から決まっているのとほとんど同じことなのですが、エレン本人にとっては大きな違いになるのではないでしょうか。

過去に干渉する能力とは言えない

当たり前の話ですが、グリシャやクルーガーが未来の継承者であるエレンの記憶を見たその時点で既に「過去干渉(未来の出来事が過去の出来事に影響を与えるという現象)」は発生しています。

なぜなら、グリシャがエレンの記憶を見ている時点で既に過去は未来からの影響を受けていることになるからです。エレンが自分の記憶を見られている自覚があろうがなかろうが「未来が過去に干渉している」ことになります。

過去干渉が発生しているかどうかの決め手は、エレンがグリシャに対して話しかけるかどうかとかではなく、グリシャ(過去の継承者)がエレン(未来の継承者)の記憶を見るかどうかなのです。

したがって「進撃の巨人の能力は過去に干渉すること」とか「進撃の巨人は未来の継承者の記憶を見ることが出来るだけであり過去干渉は始祖の巨人の能力によるものだ」というような単体で判断する解釈は正確ではないということになります。

また、ジークが始祖の力を使って始めた記憶ツアーはあくまでも状況が特殊だったというだけで、あれがなければ過去干渉は発生しないということになりません。

そもそも進撃の巨人を継承する2人以上のユミルの民が存在する時点で既にあの世界には時を超えて何かしらの影響が出る可能性があるということになります。もっと言えば「道」の存在が、つまり物語全体が「そういう構造になっている」ということです。

複雑な相互の影響

調査兵団が海に向かう途中、エルディア復権派のメンバーだった無垢の巨人を見たエレンが「オレ達の同胞だ」と言う場面があります。

この発言が出た原因は、エレンがグリシャの記憶を見たから、だけでは足りません。なぜなら記憶を見て知識として知っているだけなのであれば普通は「オレ達の同胞」などとは言わないからです。

エレンとグリシャは多重人格のような感じになっており、これが記憶を通じて繋がっている状態なのだと考えられます。だから無意識で言葉が出てきてしまうのです。

誰かに教わった知識をさも自分で考え出したものかのように他人に語るという経験をしたことはありませんか?

うっかりそれを教えてくれた本人の前で得意げに披露してしまうこともあるのではないでしょうか?

エレンとグリシャが繋がるというのはこれと同じようなものだと考えられます。

クルーガーが「ミカサやアルミン〜」と言ったり、「始祖の巨人だ」と言うときにエレンとシンクロしている描写が登場する86~89話の回想は、「エレンから見たグリシャの記憶」という形式であり、これを以てエレンとクルーガーが繋がったと言えます。

「ミカサやアルミン〜」というセリフは、クルーガーが「エレンがグリシャから巨人を継承するときの記憶(エレン視点の記憶なので誰の記憶かわからない)」に影響を受けて無意識のうちに口から出た、ということなのでしょう。どちらも巨人を継承する場面です。また、この記憶を見たときのエレンは外の世界の秘密を知ってこの先みんなを救うにはどうすれば良いか必死に考えていました。だからクルーガーがバグったような感じで「ミカサやアルミン」という言葉がポロッと出たのです。

他には、記憶ツアー中のグリシャがエレンの記憶(意思)に影響を受けて初見の髭面おじさんをジークだと認識できてしまう、という場面があります。普通は「誰だ?」になるはずですが、エレンが髭面おじさんをジークだと知っているからこそ、グリシャはジークをジークだと認識できるのです。

またエレンがグリシャをけしかけるときの「立てよ父さん」から「父さんが始めた物語だろ」までの一連のセリフは、エレンのものなのかクルーガーのものなのかどっちかよくわからない感じになっており、エレンの顔がクルーガーっぽくなっています。

対応関係をきっちり示すのは難しいですが、互いに影響し合っているということは間違いないでしょう。

記憶を見たとか見ないとか以前に、繋がっていることによって無意識下でも彼らの行動に影響が出るというところがポイントなのだと思います。

エレンがグリシャやクルーガーを操っているのか?

グリシャがフリーダを殺して始祖を奪うという出来事に、エレンの影響があったのは間違いないでしょう。

しかし、だからといってエレンがグリシャを操ったとか誘導したとは言い切れません。

最終的に決断しているのはグリシャであり、エレンの言葉はどこまで行っても判断材料でしかありません。ただし、グリシャはエレンの記憶を見て影響を受けているため、完全にグリシャ単独の人格としてレイス一家殺害を決断したとも言えず、さらにエレンはグリシャの影響を受けて言葉を発している…という複雑な状況です。

とにかく進撃の巨人継承者同士は互いに影響を受けており、エレンも例外ではありません。つまりエレンもまたグリシャやクルーガーに操られているとも言える訳です。

なぜ「進撃の巨人」は未来の継承者の記憶が見られるようになったのか?

推測の域を出ませんが、エレンが始祖ユミルに「誰にも従わなくていい」と言ったからだと考えられます。

クルーガーの「ミカサやアルミン〜」の下りは、捉えようによっては、エレンが「グリシャの記憶を見た」ときに初めて、クルーガーが「ミカサやアルミン〜」と言っていたということになった、つまり未来が過去を決めたとも言えるでしょう。

卵が先か鶏が先かみたいな話ですが、未来と過去が相互に影響しているこの物語の構造の縮図が進撃の巨人の特性であるという考え方です。

そうであれば、エレンの行動が結果的に進撃の巨人の特性を生み出したということになります。エレンが始祖ユミルの元まで辿り着くから、グリシャやクルーガーは未来の継承者であるエレンの記憶を見ることになったという流れです。

作中にはこのような因果関係が循環する一連の出来事がいくつか存在しており、それらはまさに「始祖の力がもたらす影響」であると言えます。

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する」とは?

進撃の巨人は何者にも従わない

©諫山創 講談社 進撃の巨人 30巻121話「未来の記憶」

グリシャは「進撃の巨人の継承者は何者にも従うことが無かった」その理由は「王の独善に抗うため」だと言いました。

文脈から、進撃の巨人が「未来の記憶」を見られるのは、「王(壁の王)への抵抗を実際に形にするため」だと読むことが出来るでしょう。

壁の王から始祖の巨人を奪うために、進撃の巨人の継承者が「未来の記憶」を見る必要があるのです。なぜならグリシャがフリーダを殺す覚悟を決めるにはエレンの後押しがなければならないからです。これは描かれてしまっている以上、エレンの猛プッシュがなくても良かったとみなすのは無理があるでしょう。

多かれ少なかれ影響はあったはずです。

エレンが始祖ユミルに決断を迫る「誰にも従わなくていい」

©諫山創 講談社 進撃の巨人 30巻122話「二千年前の君から」

エレンは始祖ユミルに「誰にも従わなくていい」と言っています。これによって始祖ユミルの中にある「フリッツ王に抗いたいという気持ち(というか執着を断ち切る決意)」が解放されました。

巨人の力は始祖ユミルの「こうだったらいいのにな」という気持ちが具現化したものと言えます。しかし彼女は自由を求めつつも奴隷だったので、これまで巨人の力はどこまでいっても王の望みを叶えるものでしかありませんでした。

それがエレンのはたらきかけによって、変化が起きたのです。

始祖ユミルがフリッツ王を槍から庇って息を引き取る時、つまり「ああ、王に抗うことができれば…」と思ったであろう時、9枚の花びらが描かれるコマが登場します。具体的にどれがどうというのは難しいですが、9枚の花びらは9つの知性巨人を表しており、最後の1枚が進撃の巨人だと考えられます。

そして「自由を求めて王に抗う」という「こうだったらいいのにな」が、機能として具現化された結果「進撃の巨人は未来の継承者の記憶を見る」ことができるようになったのです。

よって、歴代の進撃の巨人継承者が未来の継承者の記憶を見られるようになった原因は、未来のエレンの「誰にも従わなくていい」という言葉が始祖ユミルの気持ちを変えたから、と考えられます。

エレンがグリシャに「立てよ父さん(王を殺せ)」と言う場面は、エレンが始祖ユミルに「誰にも従わなくていい(王を殺せ)」と言う場面と実質やっていることは同じなのです。

残されている謎

作中で明言されていない不確かな点がいくつかあります。

  • 進撃の巨人には記憶を送る力がある?グリシャの「なぜすべてを見せてくれないんだ」発言
  • 未来のエレンがグリシャを経由して現在エレンのために記憶を送っていた?
  • 「未来の継承者の記憶を除き見ることが出来る」のは進撃の巨人継承者だけなのか?
  • 1話の「いってらっしゃい」
  • 鳥視点の記憶
  • 過去の進撃の巨人継承者にはエレンのような現象は起きなかったのか?

進撃の巨人には記憶を送る力がある?

120〜121話の中に「進撃の巨人の能力は過去の継承者に記憶を見せること」だと断定できるような決定的な描写はありませんし、そのような力がなくても物語は成立するように作られています。

エレンが過去に記憶を選んで送ることができるということは、実質過去を変えることが可能だと見なすことになります。しかしそれでは未来は変わらないということが保証されなくなってしまいます。矛盾を生む設定が採用されることは考え難いでしょう。

実際にその能力が使われる状況を考えても難しいことがわかります。エレンがグリシャに記憶を送りたいのであれば、まず何より先にグリシャの過去の詳細を知らなければなりません。そうしないと何をいつ見せるか判断できないからです。

しかしエレンに限らず作中の登場人物たちは過去の継承者の記憶を自由自在に見られる訳ではないことは明らかです。そして、過去を知ったらその時点で過去は確定するのだから、その出来事をどうこうすることはできなくなります。かといって過去は確定しないと見なすことは未来が不変であることと矛盾します。

このような構造上の欠陥を抱えていることが明らかなのにもかかわらず、過去の継承者に記憶を送る能力が存在すると見なすのは難しいのではないでしょうか。

なぜ過去の継承者に記憶を送る能力は存在しないのか

記憶を送るのは進撃なのか始祖なのかそんなやつはいないのか

なぜすべてを見せてくれないんだと嘆くグリシャ

©諫山創 講談社 進撃の巨人 121話「未来の記憶」

「なぜすべてを見せてくれないんだ」発言や、エレンにけしかけられてフリーダを殺したことから、グリシャは「エレンが選んだ記憶」を見せられているのでは?という解釈もあるようです。

それが転じて、進撃の巨人の力は「未来の継承者の記憶を見る」ではなく「過去の継承者に記憶を送る」という説が生まれた、という流れだと考えられます。

しかし、エレンが記憶を送っている(グリシャがエレンに記憶を見せられている)と断言出来る描写はどこにもありません。グリシャにしてもクルーガーにしても同じです。

また「なぜすべてを見せてくれないんだ」という言い方は必ずしも見せられている人のものとは限りません。見たいけど見られないという能動的な行動を実現できないときの表現として普通に使われます。

あくまでもグリシャがエレンの記憶を見ているのです。実際にその記憶を見られるかどうかはグリシャ次第であり、見られる側のエレンが自由自在にコントロールしている訳ではありません。

記憶を送る能力などなくても記憶ツアーの描写は説明がついてしまいます。わざわざエレンが見せる必要はなく、グリシャが見ることが出来ればそれで済む話です。

エレンは「自分がグリシャから巨人を継承したこと」を自覚しています。その上で記憶ツアーに臨んでいるということは、ツアー中に自分がどのような行動を取ろうが結果は「グリシャが始祖を奪還する」という状態に収束すると考えるはずです。グリシャを煽ろうが煽るまいが、エレンの選択がそのまま「そうであった過去」になります(131話でラムジーを助けたときと同じ)。

もしエレンが勲章授与式で「エレンに煽られる(グリシャの記憶)」または「グリシャを煽る(エレンの記憶)」のいずれかの記憶を見ていたことにより既に起こることを知っていた場合、エレンの行動がグリシャの始祖奪還に繋がったということになりますが、そこでグリシャがエレンの記憶を見たこと自体は事前にわかっているのだから、エレンは自分から記憶を送ろう、送らなければなどと考える必要はありません。

そしてグリシャがエレンの記憶(エレン誕生〜レイス一家惨殺)を見られるようになったきっかけは「ジークが記憶ツアーを始めたこと」です。エレンではありません。だから面白いんです。

進撃の巨人に限らず、もし記憶を送る能力なるものが存在し、しかもそれをピンポイントで狙って何かをするために使うとなると、送信のサイン、タイミング、対象範囲(相手&時間)、力が使える条件、相手の状況を知る方法など芋蔓式に無数の謎が生まれてしまいます。これらの謎に対して作中の描写から明確な答えを出すのは不可能です。

グリシャが見ていた「未来の記憶」 in 記憶ツアー

なぜ過去の継承者に記憶を送る能力は存在しないのか

記憶を送るのは進撃なのか始祖なのかそんなやつはいないのか

未来エレンが現在エレンのために記憶を選んで送っていた?

そもそも記憶を送る能力の存在自体が怪しいものですが、未来エレンが現在エレン(読者が見ているエレン)を導くために記憶を選んで見せていたのでは?という説があります。

未来エレンが現在エレンの攻略をアシストしている、というような考え方です。結果は未来の記憶通りになっているようなので、そのような考え方をされるのかもしれません。

しかしエレンやグリシャにとって未来の記憶を見るというのは別に嬉しいことではありません。呪いです。しかも雨が降ろうが槍が降ろうが結果は変わらないわけで、わざわざ未来エレンがアシストするメリットはないように感じます(アシストがあったからあの結果になったと考えることも出来ますが証明は不可能です。謎を謎で説明してもしょうがない)。

未来のエレンは過去のエレンの延長にいる存在です。最終地点のエレンがいざ過去のエレンのためにグリシャに見せる記憶を選ぼうとしても、既に「エレンが見た記憶のリスト」は完成されてしまっています。未来のエレンは記憶を選ぶこと無く、ただ単に自分が今までに見た記憶をそのまま採用するしかありません。つまり、未来のエレンが記憶を選んだとは言えないのです。

エレンは将来自分が「地鳴らし」をすることを未来の記憶を通じて知りましたが、初めは避けようとして別な道を模索していました。最終的に状況が悪化し未来の記憶通り「地鳴らし」に向かって進み始めることになりますが、エレンからすれば別にすべてを好き好んでやっている訳でもないし、敷かれたレールをなぞっているという感覚でもなかったはずです※。結局はその場その場の対応であり、未来の記憶を見たおかげで上手くいったと断言できるような場面はほとんど見当たりません。

未来の記憶は自己実現的予言として捉えたほうが筋が通ると思われます。131話でエレンはラムジーに「オレは…望んでたんだ」と言いました。グリシャの手記で「壁の外で人類が生きていること」を知りガッカリした。そして「すべて消し去ってしまいたかった」と思った矢先、地鳴らしという手段を知ってしまった。だから心の奥でそれを望んでいたことは否定できないでしょう。

結果的にエレンのすべてを平らにしたいという願望は「地鳴らし」によって一部成就しますが、何もわざわざ未来の記憶通りの流れで実現されることを望んでいた訳ではないでしょう。

「すべてはオレが望んだこと」というのは、本当は全部が全部を望んでないからこそ、それを強い意思で受け止めてそう思うようにしているのです。

エレンがどのような未来の記憶を見るかはエレンにしてみればあくまでも偶然であり、それを必然にした(そう思うことにした)のはエレンの意思であるという流れのほうが自然なのではないでしょうか。

※「レールをなぞる」をネガティヴな意味で捉えるなら、違うでしょう。最終的にエレンはネガティヴではない(ポジティヴという訳ではない)意味でレールをなぞっていたと捉えるなら、その通りだと思います。エレンはただ単に可哀想なのではありません。

なぜ過去の継承者に記憶を送る能力は存在しないのか

記憶を送るのは進撃なのか始祖なのかそんなやつはいないのか

「未来の継承者の記憶を除き見ることが出来る」のは進撃の巨人継承者だけなのか?

1話のエレンやアルミン、アニメ60話のファルコなど、まるで彼らに未来の記憶が流れ込んで来ているかのような描写がいくつかあります。

もし彼らが本当に「未来の記憶」を見ているのだとすれば、「進撃の巨人の特性」はグリシャの早とちりということになってしまいます。「進撃の巨人だけ」と言った訳ではないのでウソをついていることにはなりませんが、紛らわしい表現です。

すべてのユミルの民が道で繋がっていること、道は特殊な時間の流れ方をしている(過去も未来もない)ことを考えると、進撃の巨人でなくとも未来の記憶を見ることは起こり得るのかもしれません。

特にエレンは父グリシャが進撃の巨人をその身に宿しているときに生まれていますので、他の登場人物とは根本的な違いがあります。たった1人の例外に対してあれこれ法則を当てはめようとするのは間違いなのかもしれません。

その場合、本当は誰でも未来の記憶を見る可能性があるけれど、結果的にはっきり自覚しているのは進撃の巨人の継承者だけだった…それ以上でもそれ以下でもない、ということになるでしょう。

要するに、我々読者がわかるのは「結果がそうだからそうだ」というところまでであり、「進撃には未来視的な能力があってそれを使ったからグリシャは未来の記憶を見ることができたのだ」というような説明は厳密に言えば正しくないのです。勝手に設定を生み出して誤読するくらいなら、ふわっとした認識に留めていたほうがまだマシだと思います。

ちなみにヒストリアは父ロッドにとどめを刺したときに「ロッドの記憶」を見ました。ロッドが巨人化していたことが原因かもしれません。またアニメ版のみですが104期ユミルの手紙を読んだ際、明らかに記憶を見ているとわかる描かれ方をしていました。知性巨人同士でなくともユミルの民は他人の記憶を見ることがあるということです。

1話の「いってらっしゃい」

様々な解釈が可能だと思います。その1つは上に書いたような感じで、ユミルの民は繋がっているから未来の記憶を見ることもあるのだろう、というフワッとした解釈です。未来に原因があるとすれば、「エレンは後に進撃の巨人を継承するから」という考え方もできます。

または、1話のエレンは夢の内容を全く覚えていないため記憶を見たとみなさず、進撃の巨人を継承した後の勲章授与式で初めてそれを記憶として認識したと考えれば、普通とは違うと言うことはできます。「夢を見て忘れ、後に接触によって明確に思い出す」という流れは、ヒストリアがフリーダの記憶を思い出した流れと同じです。

もう少しパキっとした回答を求める場合、1話の「いってらっしゃい」から845のコマまでの出来事は道で起きたことであり138話の山小屋から地続きであると考えれば、「エレンは巨人を継承する前だから未来の記憶は見られないはずだ」という問題も関係なくなります。

「いってらっしゃい」1話と138話の繋がりを考察

鳥視点の記憶

130話では「上空からの視点で描かれたファルコ」が記憶の断片の中にあったり、回想前後に出てくる鳥がまるでエレンであるかのような描れ方をしています。

122話で始祖ユミルが初めて巨人化する際、煙の中を一斉に飛び立つ鳥の群れが描かれていますが、実はこの鳥がエレンや始祖ユミルと道で繋がっているのかもしれません。

鳥と記憶の関係について考察

過去の進撃の巨人継承者にはエレンのような現象は起きなかったのか?

エレンがそうであったように、グリシャはクルーガーの、クルーガーは前任者の記憶を通じて未来の自分の記憶を見たりしなかったのでしょうか?

  • 始祖の力が絡まないとそのようなことは起きない
  • 親子じゃないので深い共有は起きない

こんな感じの理由で逃げることが出来そうです。

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